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HOME >> 『安穏廟』案内 >> 万灯のあかり〜妙光寺の送り盆〜(第23回フェスティバル安穏(2012年))報告

万灯のあかり〜妙光寺の送り盆〜

万灯のあかりー妙光寺の送り盆″第23回(2012年)


メッセージ灯籠の並ぶ参道

毎年恒例の夏のフェスティバルが、「妙光寺の送り盆」と名称を変えて3年目。今年は会場を境内から岩屋にまで広げ、さらに盛り沢山な内容となりました。

『住職とトーク』


ゲストが葬儀・宗教・人生を本音で語った「住職とトーク」

トーク@「いま、若い世代がみつめる葬儀」
下元敬道さん(葬儀サポートセンター代表)×小川住職

小川 葬儀サポートセンターという良心的な葬儀社を紹介する仕事≠しているそうですが、なぜその若さでそういう仕事をすることになったんですか?

下元 私はセンターを26歳で立ち上げて、今36歳になりました。もともとはインターネットの広告代理店に勤務していて、インターネットの専門家なのです。起業するとき、インターネットを通じて本当に必要な情報を必要としている人に届ける仕事をしたい、と考えました。実は、広告代理店の経験で、一番問題を感じていたのが葬儀業界でした。家族を亡くしてショックを受けている人に、病院の霊安室で営業して、親切そうにご遺体を預かって、後で高額な請求をする。納得のいかないまま家族の葬儀が終わっている。そういう例を見聞きして、この仕事を始めました。

今は、我々なりの基準で選んだ自分の親の葬儀を頼める¢昼V社さんを、相談者さんに紹介する仕事をしています。相談者さんに紹介料はかかりません。葬儀社から手数料を頂くシステムです。葬儀社は広告を出さなくても、我々を通じて仕事がくるので、広告料のつもりで手数料を払うわけです。

小川 仕事はたくさんあるんですか?

下元 10年間で、のべ5,300件の葬儀に関わりました。今社員は13人ですが、私自身も月の半分は深夜勤務をしています。どうしても24時間対応になるので、やはり大変です。でも、亡くなった人を見送る葬儀は、その人がどんな想いで生きて来たのか、そこから自分が何を受け取るのかを考える時間です。その時間が、生きることを活性化させます。この仕事にやりがいを感じています。

小川 このごろ葬儀も墓もいらないという人が増えていると言います。そういう遺族側の問題については、どう考えますか?

下元 サポートセンターにも「親が死んだが、焼くだけでいい」という相談が増えています。「うちはそういう相談はお受けしないので」とお断りしています。以前は、そういう人に説得を試みたこともありました。でも無理なんですね。そこで実は4年前に、葬儀サポートの他に「親子でお出かけする場所」の紹介サイトを立ち上げました。愛情のタンクを満タンにした子育てがあれば、「焼くだけでいい」なんて言う子どもは育たなくなると思っているんです。

小川 よくわかります。妙光寺でも、今日は紙芝居などをやっています。子や孫とつながって、夏の楽しい思い出をお寺で作ってほしいのです。妙光寺がやってきたことと通じていますね。これからも、よろしくお願いします。

トークA「僕が妙光寺で得度した理由」
平山英徹さん(新聞記者)×小川住職×新倉理恵子(安穏会員)

厳粛な中での「得度式」
厳粛な中での「得度式」

(師匠と弟子の間では話をすすめにくいという御前様の配慮で、「妙の光」編集担当の新倉も加わりました。尚、平山徹さんは師僧である小川住職から一文字頂いて「平山英徹(えいてつ)」になりました。)

新倉 そもそも52歳で、なぜ得度しようと思ったのですか?

平山 20年ほど前にお墓の連載を書くために取材に伺ったのが、妙光寺に来た最初でした。その後、公私ともに御前様と長いお付き合いになりました。私も年を取って数年前から後輩の記事を直す仕事が中心で、取材に出ることがなくなり、一日中社内にいるようになりました。それで休日には外に出ようと、お寺巡りをし始めました。たまたま日蓮宗のお寺でご朱印を頂いて「南無妙法蓮華経」の文字の美しさに感激しました。その後、御前様から日蓮宗に千ヶ寺参り≠ニいう修行があることを教えられ、では挑戦しようと、4年余で千のお寺のご朱印を集めました。そしてある日、御前様から「もし平山君が僧侶になる気があるなら、計画をたてるがどうか」と言われ、思わず「お願いします。」と答えてしまったんです。

新倉 御前様、なぜ僧侶になることをお勧めになったんですか?

小川 千ヶ寺を廻るというのは大変なことです。ご朱印帳は、仏様に差し出す前世での修行の証です。それは、千ヶ寺廻っている中で、人の親切に出会い、辛さを乗り越えて自分が変わっていくという修行です。平山さんは、その結果出家に至った。今日ここに来ている僧侶は、皆真面目な方たちです。私は「あの方たちと同じ考えになろう」ということで、「僧侶になる」ことを勧めました。平山さんは千ヶ寺参り≠ニいう行動を起こしていたし、新聞記者で同時に僧侶でもあるという人生もあっていいんじゃないか、と思って勧めたのです。

新倉 普通は定年後に何かしようと思うものですが、記者をしながら僧侶になろうと思ったのはなぜですか?

平山 人生を二回分生きよう、と思ったのです。前半は記者として生き、後半はその素養を活かしながら僧侶として生きたい。こうして皆さんにお会いして声をかけてもらうのはうれしいし、お坊さんになるとできることが広がります。何歳になっても、皆さんと繋がり続けたいと思いました。

新倉 会社には定年があるが、僧侶には定年がないということですね。なんだか羨ましくなってきました。ありがとうございました。

トークB「夢のために40代で学生始めました」
堤由美子さん(安穏会員)×小川住職

小川 安穏会員の八割は県内の方ですが、遠方から申し込まれる方もあります。堤さんは、昨秋長崎県の佐世保から電話をくださいました。まずその事情から、お話しください。

 私の母はここ巻の出身ですが、私が19歳の時に気管支喘息で亡くなりました。私は一人娘で、父と二人暮らしです。母のお骨は、父の実家の墓に入れたのですが、いろいろ問題があって他に墓を求めなければならなくなり悩んでいた時、夢を見たんです。見たことのない風景でした。ところが、その数日後本屋さんで手にした本に載っている安穏廟の写真を見たら、夢の中の風景にそっくりでした。自分でも信じられない出来事でした。早速お電話をしたところ、親切に応対していただいて、安穏廟を求め、四月には納骨も済ませました。

小川 不思議な話ですが、つまりご縁があったということですね。今は長岡に住んで、今春看護専門学校に入学されたそうですね?

 父が大きな手術をした時、付き添っていて布団を直そうとしたら「素人は触るな」と父に言われたんです。患者というのは、こんな風にプロのスタッフに委ねるものなのか、と少々悔しくて「看護のプロになりたい」と思い、専門学校に入学したのです。ところが、実は私自身が喘息を発症して、最近退学することになりました。

小川 大きな挑戦をしたのに、挫折して困難が続いていますね。

 でも試練があるから人の心の痛みがわかる医療者になれるのではないか、と思います。今、再入学を目指しています。看護師になって、途上国で医療活動をする夢があるのです。

小川 堤さんのそのパワーには、いつも圧倒されます。過ぎない程度に頑張ってください。

色々なお店が並んだバザール広場。
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かき氷行列が出来るほどの暑さでした。
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大人も子供も楽しんだ「蓮の花作り」
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子供たちに大人気だった「手作りおもちゃ」
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昔懐かしい「街頭紙芝居」
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「エンディングノート」の書き方講座
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「祈りの響きコンサート」では、感動の声が沢山聞かれました。
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千提灯の下で盛り上がる夜の交流会。
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恒例の“安穏甚句”と踊りの輪!
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幻想的なろうそくの灯り。
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心穏やかに再会を約す「再会の祈り」
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