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院首夫人 小川なぎささんに聞く
〜 病気でひと休みしています 〜

2018年9月号

新倉理恵子


小川なぎささん

 院首夫人なぎささんといえば、「妙の光」では人気コーナー渚から=i一〇〇号までは寺庭から=jの筆者としておなじみです。お寺ではいつも台所を守り、妙光寺のディフェンダーとして活躍してきました。法灯継承を終えた矢先に大病を患い、今までとはひと味違う夏を迎えたなぎささんに、お話をうかがいました。

Q.胃がんと聞いて、びっくりしました。皆さんも心配されていると思いますので、まず病気のことを聞かせてください。
なぎさ 3月13日に手術をして、胃の3分の2を取りました。今は抗がん剤治療をしています。
 
Q.いつごろから具合が悪かったんですか?
なぎさ 仕事をしていると夕方胃が痛くなることがあって、お正月の1月2日は休んだんですね。今思えば、行事がある時に休んだことはなかったので、かなり辛かったんだと思います。検診は5年に1回くらい受けていたのですが胃カメラは飲んだことがなくて、2月半ばに内科の先生のところに行って胃カメラを飲みました。そしてすぐに大きい病院を紹介されて、あっという間に入院して手術しました。
 
Q.胃がんと言われて、ショックだったでしょう?
なぎさ 意外に平気だったんですよ。お寺で長く暮らして、いろいろなお話も聞いているので、そのおかげかもしれません。でも入院前に、3月のお彼岸のことを頼みに大滝総代のお宅に行って、奥さんの幸子さんが涙をこぼしながら「いいよ、何も心配しなくても。私たちがやっておくから、まかしといて」と肩を抱いてくれた時は涙が出ました。自分の病気のことというより、幸子さんの優しさに涙が出ましたね。そういうことは病気になって多かったです。皆さんは本当に優しくて、私も人に優しくしなくてはと思いました。
 
Q.それでは、話を変えて、院首さんとのなれそめを聞かせてください。
なぎさ 私は新潟市の公立保育園で、保育士をしていました。仕事は楽しかったし充実していました。それで友達に誘われて、仕事帰りに少し運動しようとテニススクールに行ったんです。そのスクールの同じクラスに現院首がいました。私が23歳で、院首は31歳の時でした。クラスの飲み会の時に、角田山の麓のお寺だと知って盛り上がりました。実はその頃は登山が趣味で、週末ごとに山登りに出かけていました。角田山は新潟では有名な山で、登山コースもたくさんあり雪割草が咲くことでも知られています。院首から「遊びにおいでよ!」と言われて、さっそく出かけました。原付バイクでトコトコ走ってね。山菜を食べる会≠ノ行ったのが、最初だったと思います。その頃の院首は「寺子屋の会」というのをやっていて、おもしろい人たちがたくさん集まっていました。私の知らない世界がある!という感じで、集まっているおじさん達と話しているのが楽しかった。そうこうするうちに、結婚することになりました。
 
Q.お寺に嫁ぐということについて、院首さんから説明は?
なぎさ 何もありません。(笑)私の両親は「お前に務まるわけがない」と反対しました。登山ばっかりしている娘でしたから、心配だったんでしょうね。1983年の10月に結婚して、翌年の夏には現住職の良恵が生まれました。
 
Q.結婚してみて、妙光寺の生活はいかがでしたか?
なぎさ 今思えば、大変だったと思います。年老いた義母もいましたし、良恵の生まれるころには中学生の鎌田上人が夏休みに初めて住み込み修行に来ました。そして年子で4人の娘が生まれて一番下は双子です。その上、ユースホステルもやっていてお客さんが来るわけです。数年に1回は境内が水害に遭います。まず水路を作らなくては、ということで院首を手伝って測量をして工事をしました。そんなこんなで、いつもたくさんの人たちがお寺にいます。スーパーが遠いので買い出しも大変だし、お風呂が外の小屋にあって手間もかかりました。でもユースホステルに泊りに来た若い人たちが手伝ってくれたりして、私は忙しさをあまり苦労とは感じませんでした。
 
Q.では、そのころ一番大変だったことは何ですか?
なぎさ お坊さんが夫ひとりだけだったことかな。葬儀の連絡が入ったとき夫がいないと、すべての段取りを私がひとりですることになります。お手伝いによそのお坊さんをお願いすることもありました。葬儀は大切だから緊張するし、携帯もないころですからあちこち連絡をとるのは大変でした。
 
Q.その後「安穏廟」ができて、ますます忙しくなりました。若いなぎささんを支えたものは何ですか?
なぎさ いろいろな人との出会いが宝物です。普通の人の3倍は、人との出会いがあったと思います。「安穏廟」の設計者だった野沢先生は大好きな方でした。それから工事の職人さんが入ると当時は食事をお寺で用意していましたが、私は台所でお茶を飲みながら職人さんと話すのが好きでした。職人さんの話は面白いんですよぉ。だから職人さんの食事の支度も、負担に感じたことはありません。つらいことより良かったことの方が、たくさんあった気がします。
 
Q.昨年、良恵上人が法灯継承をしましたね。
なぎさ 後を継ぐと聞いた時、最初は反対しました。心配が先に立ちました。2人でもこんなに大変だったのに、独身の良恵は1人で頑張らなきゃいけない。やっていけるのか。でも、私たちも困っていることがあると、ご縁があって助けて下さる方が現われました。きっと住職も、そういうご縁に出会うだろうと、今は思っています。
 
Q.なぎささんの病気に一番慌てたのは院首さんでしたね。毎日病室に通っていたそうですね。
なぎさ そうなんです。入院中は毎日9時に病院に来てくれて、夕方まで病室にいてくれました。夕方になると「晩飯のおかずを買わなくちゃ」と言って帰っていきました。きっと家にいても落ち着かなかったんでしょう。2人きりで長時間過ごすのは、結婚以来初めてでした。法灯継承前だったら、こうはいかなかったと思います。住職を引退したところだったので、タイミングが良かったんです。入院の前から、料理を教えてくれと言って練習していました。凝り性だから覚えは早くて、けっこう上手です。退院後も、朝は食事の準備をしてから起こしてくれます。いつも体調を気遣ってくれるんです。
 
Q.院首さんは、台所でも率先して後片付けをしています。びっくりしました。
なぎさ 変わったでしょ?家事に目覚めてしまったようです。やるとなると、掃除も早くてテキパキしています。時々、捨ててはいけない物も捨ててしまいますけど。(笑)本当に優しく看病してもらって、感謝しています。実は、今までたくさん不満もありました。でも今は、すべて水に流せる感じです。病気をしたおかげですね。
 
Q.まだしばらくは、療養が必要ですね。
なぎさ そのようです。抗がん剤治療はしばらく続くので、とりあえずお休みをさせていただくことにしました。渚から≠焉Aしばらくは休載させていただきます。皆さんがお寺においでになっても、ご挨拶しないことがあるかもしれませんが、失礼させてください。幸いお手伝いに来て下さる方もできたので、安心しています。のんびり休ませていただいて、また元気になったら復帰しますから、よろしくお願いします。

ゆっくり休んでください。今日はありがとうございました。

 (聴いた人 編集部・新倉理恵子)

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