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寺庭から 「旅路」

2017年9月号

小川なぎさ


お盆を迎えて
 8月1日には施餓鬼法要、新盆法要が行われました。本堂の施餓鬼壇に、毎年その年に亡くなった方の位牌を並べて供養します。あの世からこの世へお戻りになって「この世は暑いな!」なんて言って、「みんな元気かい?」と見守っていて下さるのでしょうね。

死は尊いもの――空っぽのお皿のように
 お寺生活もずいぶんと長くなったので、千人以上の方々をお見送りしてきたわけです。思うに早いか遅いかの違いだけで、人は必ず霊山浄土への旅立ちが待っているものです。そういう事実は、私の人生観を大きく変えました。
 この世は楽しいことばかりではないし、心配事は絶えないし、苦しいことも多い。面倒くさいことばかりです。なぜ私はここに存在しているのだろう?と不思議に思いますよ。けれどもどうやったって、死を迎えるその時まで生きていなければならないわけだし、本当にやっかいです。ならば好きなことだけして毎日おもしろおかしく暮らせばよいかというと、どうもそうでも無いような気もします。そんなこと出来ないですしね。
 「料理人にとっての最高の褒め言葉は空っぽのお皿」と何かで読んだのですが、平凡で普通の生活者である私も、毎日生きているだけで価値があるのだと思いたいし、最期は空っぽのお皿のように死んでいきたいと思います。死は残された人たちにたくさんの贈り物を残して旅立つのだと、お寺での経験から身にしみて感じているし、尊いものだと思うからです。実家の母に「もうすぐ死ぬ歳だけど、どんな感じがするの?」と聞いたことがあります。「別に何にも感じないよ」と淡々としているので、笑いました。

これからもよろしくお願いします。
 11月の「法灯継承式」が終われば、私も寺庭夫人ではなくなるそうです。けれどもお寺の仕事は続いていくので、お別れをいうのも変なものです。
 お寺にてご縁をいただいたすべての方々に、心からの感謝の気持ちを捧げます。
 また私と同じ年月をともに過ごした鎌田義明上人、初めての弟子としてよく御前様についてきてくれました。頭が下がります。ありがとう。
 いつも遅くまで雑務をこなしている佐藤上人、たった一人で美しい境内を保ってくれる松本さん、明るくて根性のかたまり寺務の柿崎さん、ありがとう!
 私は死ぬときまで生きつづけるつもりですが、先が見える年齢だからこそ自由がある。もうなんの心残りもないので、これからの旅路をカリカリせず、穏やかな気持ちで歩むつもりです。先のことは自分では選べないので、それもまた楽しみ!これからもよろしくお願いします。ではまた。

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