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誌上法話

南無妙法蓮華経 方便品ほうべんぼん第二
仏乗ぶつじょう

2018年7月号

小川良恵

『法華経』の全体は二十八品(二十八の章)で構成されていますが、その中でも特に重要と考えられているのが、方便品第二と如来寿量品にょらいじゅりょうほん第十六です。法要では必ずお読みしますので、耳に慣れた方もいるでしょう。
 
深遠な仏様の智慧
 方便品は、序品じょほんの間、瞑想に入られていたお釈迦様が目覚め、弟子の舎利佛しゃりほつを相手に語り始めるところから始まります。その内容は、「お釈迦様が悟られた仏の智慧は、深遠にして底が知れず、極めることは難しい。仏教の修行者で、自分自身の救いだけを求める声聞(ルビしょうもん)や縁覚(ルビえんかく)と呼ばれる者たちに、真理を体得することは出来ないだろう。仏の智慧は仏にしか理解出来ない」というものでした。弟子たちは、自分たちはそれまでの仏法に従って修行をし、悟りを開いたと信じていましたので、この話を聞いて疑念を懐きます。代表の舎利佛が、疑念を問いただしても、お釈迦様は「貴方がたには理解できないのだから無駄だ」と答えては下さいません。同じ問いを舎利佛が三度繰り返すと、ようやく考え直し、答えようとしますが、このやり取りの間に、一部の弟子たちは説法の場から立ち去ってしまいました。
 
悟りへ至るただ一つの乗り物
 そして、お釈迦様が語られたのは、次のようなことでした。「悟りへと至る乗り物は、本当は一つしかない。しかし、それを理解できるものは稀なので、仏は方便を駆使して、悟りへ至る乗り物は三つあると説いたのである」
 ここでいう三つの乗り物とは、声聞乗、縁覚乗、菩薩乗ぼさつじょうのことをいいます。法華経が説かれる以前の仏教の教え(小乗仏教)では、修行者のあり方として声聞・縁覚・菩薩が説かれていました。先に述べたように、声聞と縁覚は自分の悟りばかりを求めるため、仏に成ることはないとされておりました。
 しかし、真実は仏に成る乗り物は、一つ。すなわち「仏乗」しか無いというのが法華経の教えです。三乗の教えは、真の教えへと導く方便であり、声聞や縁覚もまた「仏乗」によって成仏出来ることが明かされるのです。

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