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安穏

2018年9月号

小川良恵

思いがけない出逢い
 猛暑と言われた夏も過ぎ、夜は虫の声も聞こえる季節になりました。お盆の疲れが出てしまい一人で弥彦の日帰り温泉に行きました。帰ろうと玄関を出たところで、先号でご紹介した寺務の櫛谷さんに会いました。前日に「次は来週出勤します」などと話を聞いていたので、とても驚きました。温泉は妙光寺からは40分、彼女の家からも1時間以上かかる場所です。玄関を出る時間が30秒でも違ったらすれ違わなかったと思うと、不思議な気持ちです。
 こうした経験、皆さんも巡り合ったことないでしょうか? 最近ではもうひとつ、こうした「ご縁」を感じた出会いがあります。5月に最上稲荷というお寺さんで荒行をしてきたことは皆さんにもご報告済みですが、その時、一緒に修行をしていた尼僧さんが3人いました。うちのおひとりは、青森の方でした。最初に顔を合わせて少し経った後に「小川さん、新潟からこられたなら、海津上人をご存知?」と尋ねてこられました。海津という名字が珍しいこともあって、私もびっくりして「寺泊の法福寺さんなら、ご住職はいとこです」と答えました。すると、その方はとても喜ばれて「僧侶資格の試験のときに一緒だった。とても、真面目な好青年だった」とお話をされました。たった4人しかいなかった修行僧のかたが、まさかいとこのお坊さんをご存知とは。仏様のおはからいを感じずにはいられませんでした。
 
袖すり合うも多生の縁
 「ご縁」といえば、「袖すり合うも多生の縁」という言葉を、皆さんご存知かと思います。この言葉、「タショウ」はよく誤用されますが、「多少」ではなく「多生」が正しい使い方です。「多生」というのは、仏教由来の言葉です。輪廻転生、つまり何度も生まれ変わり死に変りして、数多くの生を繰り返してきたことを指します。「多生の縁」というのは、今生つまり今生きているこの生よりも以前の、前世からの深いつながりがあるという意味です。道端ですれ違い袖が触れ合う程度のように思えるかもしれないが、その出会いが起こるまでには、過去からのご縁で結ばれている。だから、人との出会いを大切にしなさい。そういう教えが込められています。
 
相性の悪い出会いも
 とは言え、人と人との出会いというのは、良いことばかりではありません。袖がすり合うどころか、人混みの中で足を踏まれて謝りもしないとか、妙に相性が悪くて意見が対立する相手がいることもよくある話です。私も、お坊さんになるための道場に入ったとき、どうしても苦手な人がおりました。かなり年上の方でしたが、皆が喉をからして大きな声で読経している時に全然声を出していなかったり、講義の最中に隣の人とお喋りをしたり……。同じ班だったので、「もっと一生懸命やりましょう」と何度か声をかけたのですが、結局そのまま修行期間は終わってしまいました。こうした人ともやはり縁があると言うのでしょうか?
 
「悪い因縁」も「良い因縁」に
 私はその後、日蓮宗の布教研修所に半年間入りました。この研修所には、若いお坊さんしか入れません。私以外は20代の若い人ばかりでした。なかには日蓮宗の高校、大学と進んできて、子どもの頃から立派なお坊さんになることを目指してきた、そんな熱い僧侶もいます。お寺に生まれながら、後を継ぐことは全く考えずにのんびりOLをしていた私よりも、知識も経験もずっと豊富な人たちでした。私は、彼らにとって「できて当たり前」なことで、いろいろと失敗することも多く、ある時こんなことを言われました。「あんたどうしてそんなにやる気無いんだ?もっと一生懸命になれよ」と。7つも8つも年下の子に、です。自分では一生懸命やっているつもりだったので、悔しく思いながら、同時に気づきました。あ、私も同じことをしていたと。「もっと一生懸命やりましょう」なんて偉そうに言っておいて、自分がほぼ同じ言葉を向けられている。言われる側になって初めて、あの時のあの人も一生懸命やっていたのかもしれないと、思えるようになったのです。また、年下の人にしてみれば、自分よりもうんと年上の相手に、そんな注意はしたくないはずです。両方のご縁があって、気づくことが出来ました。
 だから、自分にとって嫌だなぁ苦手だなぁと思う相手とのご縁も、けして悪い因縁ではないわけです。
 


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