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<法灯継承記念インタビュー>
得度して五年半、やりがいを感じる毎日です

            −次期住職・良恵上人に聞く−

2017年9月号

新倉理恵子

 法灯継承をひかえた次期住職・良恵上人は現在33歳。現住職の娘たち4人の長女です。「僧侶になるつもりは、まったくなかった」と語る彼女は、今までどんな人生を歩んできたのか。今回は33年間の道のりについて聞きました。
 

Q.まず、生年月日を教えてください。
良恵 昭和59年(一九八四年)9月10日です。33歳になります。

Q.小さいときは、どんな子どもだったんですか?
良恵 お寺はいつも人が訪ねてくる環境ですし、私には年子の妹が3人います。ひとつ下に一人、ふたつ下には双子の妹です。毎日にぎやかに過ごしていて、小学校低学年の頃は、お転婆な子どもでした。

Q.男の子といっしょに遊ぶ感じですか?
良恵 というより男の子と殴り合いのけんかをして互角に闘っているという……おしゃべりで元気な子だったんです。

Q.学年があがるにつれおとなしくなった、と聞いていますが?
良恵 はい。一年から三年までの担任は女の先生で、自由な雰囲気の方でした。「今日は天気がいいから散歩に行きましょう」と言われて、みんなで散歩して私ものびのび過ごしていました。でも四年生からは体育会系の男の先生で「この先生、ちょっと苦手」と思ってしまいました。一学年1クラスで30人以下。男子とばっかり遊んでいたのが、さすがに四年にもなるとそんなわけにはいきません。でも女子の中に上手に入っていけなくて、担任は苦手だし……もう自分の中に閉じこもりましたね。

Q.困りますよね。それで、どうしましたか?
良恵 そこで、読書に逃げたんです。というか、読書に目覚めました。大好きだったのは『冒険者たちガンバと15匹の仲間』(ガンバの冒険…ネズミのガンバが旅に出る物語)です。夢中になって読みました。それから『ナルニア国物語』やシャーロック・ホームズもよく読みました。

Q.中学校からは、西区の私立新潟清心女子中学校に行きましたね?
良恵 見学に行ったらとてものびのびした雰囲気で気に入りました。カトリックの中高一貫校です。そして入学して二か月くらい経ったときに、親友ができました。よくお寺にも来てくれている菊池崇子さんです。菊池さんは、現在安穏会員で妙光寺茶道部員でもあります。心強いですね。

Q.清心では、どんなことをしていたんですか?
良恵 中高一貫は1クラスで、6年間約40人が一緒に過ごしました。女子ばかりなので楽しかったですね。でも私はやはりおとなしい方で、美術部に入って放課後は美術室でおしゃべりして過ごしました。

Q.そして新潟大学に進学したわけですね。他の大学は受けないと言うのでかなり心配した、とお母さんからは聞いていますが……。
良恵 ええっ!そんな話になっているんですか!だって最初に「下に3人もいるんだから、国公立以外はダメだ」と言ったのは両親なんですよ。確かに親も大変だろうと思って、それなら家から通える新潟大学しかないのか……と思いました。人文学部に興味のある分野もありましたので。それに私は次の年度から国立大のセンター試験科目が増えるという時にあたっていて、来年からは大変だとかなり追い詰められた気持ちでした。

Q.ご両親の話とはずいぶん違いますね。「子の心、親知らず」かな。
良恵 確かに勉強不足の自覚はありました。でも、すぐ下に妹たちがいるから浪人させてくれとは言えないし、落ちたら自分が困ります。幸いセンター試験で運が良くて、社会科で鎌倉仏教がたくさん出題されたんです。合格圏内に入ったので、そこからの一ヶ月は二次試験に向けて本当に頑張りました。「国公立以外はダメだ」と言われたから、頑張ったんですよ〜。

Q.大学では、何を勉強したんですか?
良恵 人文学部情報文化過程でメディア論を学びました。卒論は「物語論」です。たとえば、「夏子の酒」というストーリーがあって、その酒蔵の酒が売れるとか、そういうことがありますよね。物語が人間に及ぼす影響を分析しました。当時は出版社に勤めたいと思っていました。

Q.それで、就職は?
良恵 就職活動も頑張ったつもりですが、うまくいきませんでした。それで父の紹介で横浜の会計事務所に勤めることになりました。初めての一人暮らしで良い思い出もありますが、仕事は経理で私には向いておらず3年で辞めることにしました。大学まではなんとか自分の希望が実現したけれど就職は父に助けてもらうことになり、頑張ってみたけれど仕事の内容にもなじめなくて辛くて辛くて、その頃は挫折感でいっぱいでしたね。

Q.再就職は、どんな会社でしたか?
良恵 失業手当をもらいながらハローワークで求人票を見て、五反田の個人経営の小さなオークション会社に勤めました。貴金属や骨董品を出品者から集めてカタログを作り、オークションを開いて落札してもらう。私の仕事は経理事務だったんですが、一つひとつの品物にストーリーがあるし知らない世界ものぞけるので、前の仕事よりは楽しかったですね。でも20日間休みなし連続勤務もあり、残業代も出ませんでした。そして2年経った時に、東日本大震災がありました。二〇一一年三月十一日には私も五反田から上野まで歩いて帰りました。その時「このまま東京にはいたくないな」と思ったんです。

Q.そこで妙光寺の後継という話につながるんですね。
良恵 その頃「後継住職をどうするのか」という話が本格的になってきて、「私でもできるのかな」とふと思いました。やると言ってしまえばやめることはできないので迷いましたが、今のままの自分ではいけないこともわかっていました。それで「妙光寺を継ぎたい」と父に言いました。会社を辞めて得度をしたのは二〇一二年春でした。

Q.大学に通いながら、鎌倉の圓久寺で修行したんですよね?
良恵 立正大学の聴講生として勉強しながら、東京のアパートから鎌倉に通う生活を2年間送りました。もともと僧侶になる気がなかったので、静座も辛いし、お経もわからないし、初めは大変でした。圓久寺の松脇上人は私の師僧ですが、当時も今も本当にお世話になっています。

Q.得度をしてから5年半経ちましたが、一番辛かったことは何ですか?
良恵 二〇一四年の春、千葉県清澄寺での「僧道林そうどうりん」という最初の修行生活です。久遠寺での本格的な修行の前に行う四泊五日の修行ですが、とにかく辛かった。集団生活で時間や行動もとにかく厳しい。朝早くから夜遅くまで、やることがたくさんあって走らないと間に合わない。食事中も作法が決められていておしゃべりは厳禁。外との連絡はもちろん一切絶たれています。静座はできないしお経もうまく読めない。2日目に声が出なくなって、それでもお経の練習が続いて、本当に辛くて早く新潟に帰りたいと思いました。その年の6月に、久遠寺の「信行道場しんぎょうどうじょう」で1か月の修行をして、正式に僧侶になりました。「信行道場」の方が期間も長く、ここでも声が出なくなったのですが、この時は辛くはなかったですね。帰りたいとも思いませんでした。

Q.この5年半の間に、僧侶をやめようと思ったことはありますか?
良恵 ありません。それまでの仕事は続かなかったけれど、僧侶の仕事をやめたいと思ったことは一度もありません。毎日見ていた以上に忙しい。でも、いろいろな人に出会えるし、お経を読んで感謝していただけることに、本当にやりがいを感じます。

Q.でも僧侶は対人関係の仕事ですよね。苦手な分野なのでは?
良恵 そうなんです。自分が人と接する仕事に就くなんて、考えられませんでした。三女の綾はすっと相手に寄り添って会話ができます。天性のものだなぁと思います。私は今も苦手意識があって、ちゃんとやれているかどうかはわかりませんが、とにかく皆さんとお話しするのは楽しいです。

Q.最後に、今後のことについて聞かせてください。
良恵 すべてにおいて責任をずっしりと感じています。一番心配なのは、「企画力」です。父のようにアイディアが湧いてくるわけではありませんから。でも皆さんに助けていただきながら、頑張っていきたいと思っています。

いっしょに頑張りましょう。これからもよろしくお願いします。
 

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