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信心プラス『ご縁にひかれて』

埼玉県 高𣘺信一さん(53歳)

2018年9月号

院首

高𣘺さんが車で妙光寺に向かうときは、渋滞を避けて自宅のある埼玉を朝3時に出発する。ボランテラなど行事のお手伝いのときは一人だが、家族4人でお墓参りを兼ねたドライブのときも含めると年に7〜8回は出かけてくる。
 車が趣味で、癌を患ったときの保険金で4輪駆動のジープを買った。妻の友紀子さんは「妙光寺に行くためなら冬の雪道が怖いからいいよ」と快く賛成したという。生まれも育ちも埼玉だが、縁あって父を埋葬して以来すっかり妙光寺通いが続いている。この9月がその父の13回忌。家族と法要を営んで京住院に泊まり、翌朝は信行会に参加した。
 幼い頃は両親の離婚など苦難の連続だった。どうにか道を誤らずに来られたのは学生時代の恩師の助け。大人になってからの人生を支えてくれたのは、看護師の妻と2人の子供。そして消防団など地域の仲間たちだったという。
 
両親の離婚
 両親の離婚は小学校4年生のときだった。3歳の弟と共に父の元に残り、弟の保育園送迎、食事、洗濯、お風呂と家事も担った。夏休みには父の会社でゲーム機の箱詰めのアルバイトをして家計を助けた。
 さすがに自由な時間のない生活に嫌気がさして、高校入学後悪い遊び仲間に加わった。留年も覚悟したが教師の「学校をやめるな!」の一言で、「このままではズルズルと悪い道に行ってしまう」と気がついた。「仲間を抜けると言ったら、8人から袋だたきにされました。でも小中高と先生に恵まれて、ずっと助けてもらいました」と語る。
 
父の死を機に
 大学進学を諦めその教師の勧めで公務員として就職し、印刷の現場で働いてきた。結婚して家のローンを抱えた父と3人で5年間暮らしたが、父との些細ないざこざを機に妻の実家に世話になった。ようやく2人の子供に恵まれて、自分たちの家も持てた。
 その後一人暮らしの父が病気になり、急変して亡くなったときは慌てた。PTAや消防団の仲間たちが地元のJAで葬儀の段取りをつけてくれたが、そのとき趣味の車仲間のAさんから妙光寺を紹介された。49日に改めて妙光寺で葬儀を営み、埋葬した。そのときには弟と、離別した母も参列した。
 
自身の大病
 ようやく落ち着いたある日急な腹痛に襲われ、またも消防団仲間の機転で妻の勤務する大学病院に救急搬送された。小腸の外側にできた癌で10万人に2〜3人という難病だった。担当医のおかげで一命を取り留め、その後も検診は欠かせないが経過は順調だ。
 そんなこともあってか、妙光寺通いがさらに増えて、送り盆等の行事のお手伝いや1日研修会にも参加し、平成20年には生前戒名も受けた。「特に理由なんてありません。お寺の居心地が良いのと、一生お世話になるのだからできることは協力したい。格好良く言えば仏教を知りたいという気持ちもあるかな」と大きな身体の割に控えめに言う。
 
広がるご縁
 送り盆のスタッフ仲間ともすっかり打ち解けて、妙光寺の地元角田浜の檀徒さんらとも親しく声を掛け合う仲だ。さらに東京近郊の安穏会員の息子さんら若い人たちと飲み会を開き、看護学校に通う21歳の長女茉央さんも参加する。
 定年退職後、妙光寺の行事受付係などを担う新潟市のOさんを、高??さんは「新潟のお父さん」と呼んで親しくしている。Oさんは、東京の飲み会にも新潟から出かけていく。2人は安穏廟でも隣同士だ。「いやーびっくり。お墓が隣同士だった。死んでからも一緒に飲めるねえー」と、意気軒昂な2人でもある。
 

 

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