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信心プラス『世話人40年』

新潟市西蒲区 石田照男さん(75歳)

2018年7月号

院首

妙光寺は地区ごとに選出された方を中心に、23名の世話人の合議で運営されている。石田さんもその一人で、このたび75歳の定年を迎え退任された。35歳の時やはり世話人を務めていた父親が農作業中に脳溢血で倒れ、半月後に亡くなった。若すぎるからと固辞したが、周囲の薦めで後を引き継いで世話人となり、以来40年間に及んだ。
 11年前、人生最大の危機が訪れた。妻美枝さんとの突然の別れだった。平成17年の正月6日夕刻、美枝さんは勤務先での仕事始めを終え、帰宅途中に交通事故に遭った。美枝さんはまだ62歳だった。
 事故のあった時刻に石田さんの携帯電話が鳴ったような気がした。この日は仕事後に二人でホームセンターへ買い物に行く約束をしていたので、その連絡だろうと何気なくかけ直したのだが応答はない。警察からのその知らせはかなり経ってからだった。電話があったと言うと、その前に即死だったはずだと警察は言った。「最期の助けを求める叫びだったのかなと思う。妻が追突したとされ、解剖までされたが酒も薬も飲まない慎重な妻がなぜと、今でも事故原因に納得がいかない。夢にも出てこないんだ」と当時を振り返る。

続く苦難
 16歳の春には、母親が田んぼのハザ木と車の間に挟まれて大けがをする事故に遭った。農業高校定時制に合格し、その入学式当日のことだった。長男として働かざるを得なくなり高校は断念。農業を手伝いながら講習を受けて自動車整備士資格を取り、その後勤務した運送会社で大型特殊免許も取った。
 妻の死後、ようやく元気を取り戻した8年前に検診で自身に肺がんが見つかる。2時間半の開胸手術で無事生還、今再発の不安はない。しかし長年の無理がたたってか、腰痛と背骨の圧迫骨折で、3年前から湿布薬が欠かせない。「今年春の50反の田植え作業は息子や孫に頼り、眺めているだけで何もできなかった」と言う。

世話人として
 苦労続きの人生だが、世話人40年間は奇しくも院首(前住職)の在職期間と重なり、思い出深い。客殿建替工事・住職の結婚式・安穏廟の計画から資金繰りと続いた。本堂の建替工事では建設委員を務めた。開創700年大法要は若い人が活躍して大成功。昨年の法灯継承式も無事終えられてほっとしている。
 なんといっても忘れられないのは、内藤さん、高橋さん、小林さん3人の世話人の先輩たちのことだ。いまでこそ境内の排水も整備されて立派になったが、以前は度々沢が氾濫して境内に水が溜まり客殿は床上浸水した。「世話人皆んなが頑張ったが、特にこの3人は、いつも自分の家の仕事を差し置いて沢を掘り、管を伏せる等、手作業で汗を流していた。今の妙光寺があるのはこの人たちの力が大きいことを忘れてはならない」と語る。

心の支え 
 石田家は農家だがその歴史は長く、3人の僧侶を輩出している。なかでも明治初期に妙光寺45世住職として4年間在職した日覚上人は、僧侶育成の檀林で講師も勤めた。妙光寺に入寺する前は現在の岡山県で住職していたとの記録がある。お寺との深いつながりは、石田さんにとって辛いときの気持ちの支えになった。
 自身も妙光寺の団体参拝で総本山身延山に4回お参りし、3回は標高2千mの七面山に登った。山頂の宿坊に泊まり富士山から昇るご来光を拝めることで有名だが、1度しか拝めていない。次回も参加したいが、4時間の山道はもう無理なので、久遠寺周辺のお寺巡りコースにするつもりだ。
 一昨年には、共に歩んできた住職による最後の生前戒名授与ということで、戒名も受けた。体調が優れない最近は酒の量が増えがちだが、機会があればお参りは欠かしたくないと語る。
 

 

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