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信心プラス『お寺で結婚式』

新潟市西蒲区巻
柿崎 ばくさん(31才)・知世ともよさん(27歳)

2018年4月号

院首



 昨年秋、妙光寺本堂で結婚式を挙げた2人。7年前に麦さんの妹が妙光寺で挙式し、自分のときもお寺でと思ってきた。「一般的な式場だと限られた招待客しか来られませんよね。ここなら開放的で誰が来ても、自由に見てもらえます。この日も僕のダンスの教え子の小中学生や、彼女の職場の先輩方も来てくれて100人にもなりました。」と麦さん。
 知世さんは「最初は戸惑いました。でも和装にしたかったし、妙光寺は自然の光が一杯で明るい雰囲気が気に入ったので賛成しました。ところが両親が亡くなってから、親代わりをしてくれている祖父母が反対でした。お寺は法事や葬式する所で辛気臭い。普通の式場にしてくれと言われてしまいました。」
 一人っ子で両親のいない知世さんの結婚に、76才の祖父は慎重だった。しかも麦さんの仕事は、聞いたこともないようなヒップホップダンスの講師。麦さんは当初、会ってももらえなかった。

頑張り屋の2人
 麦さんは高校卒業後、洋菓子作りを習得してパティシエになった。そのころ画家だった父が亡くなった。父は今『安穏廟』に眠っている。中学時代からやってきたダンスは中断して、パティシエの仕事に打ち込むことにした。ところがある時、久しぶりに踊っている姿が偶然東京のプロダクションの目にとまった。スカウトされて、プロのダンサーになった。現在は週2日間東京で、4日間を新潟で、小中学生のダンス指導に当たる。新潟にいる4日のうちの3日間は、日本酒の酒蔵でアルバイトをしている。
 知世さんは1才のときに、建設会社で現場監督をしていた父を交通事故で失った。母は知世さんとともに、妙光寺に近い旧西川町の実家に戻った。祖父はその時から、父親代わりだった。知世さんは、短大を出て保育士になり就職した。だが、その直後に母親がガンで逝ってしまった。今は7年目のベテラン保育士として、明るく爽やかな笑顔で園児たちに接する毎日だ。
2人は4年前に出会って交際を続けてきた。一昨年2人は結婚を決意。麦さんはさっそく挨拶に行きたいと思ったが、仕事が不安定、年収は、住むところは…と知世さんは祖父母から攻められるように言われ、会ってももらえなかった。
 そんな中、麦さんが上京の際に車を置くため、知世さんの祖父が営む駅に近い駐車場を借りた。麦さんは仕事用に染めていた髪の毛を隠すために黒毛のカツラをかぶり、支払いの時には立ち話を心掛けた。言葉を交わすうちに、知世さんの祖父が絵が好きなこともわかり、麦さんの父が画家だったことも話題になった。酒蔵で働いていることも、気に入ってもらえた。すっかり打ち解けて、その年の暮れには一緒に食事までする間柄になった。

式当日は墓参りから
 台風の襲来で結婚式前後は悪天候だったが、当日は穏やかな秋晴れになった。支度中の控室を、知世さんの職場の同僚や友人たちがのぞきに来る。そんな自由な開放感が緊張をほぐした。式に先立ち、麦さんの父の墓前に報告。こうして心から安心して落ち着いた気持ちで式に臨むことが出来た。その表情が写真に表れていると、後日開いた友人たちとのパーティーの席で皆さんに言われて嬉しかったと言う。
 「式場のことは私たちが押し通したのですが、当日まで納得しなかった祖父母も結果的にとても喜んで、今では掌を返したように妙光寺で良い式ができて、良かった良かった≠ニずっと言っています。」
 妙光寺を知り尽くしたカメラマンの増井さんが写真撮影し、その紹介で着付けの方は麦さんの妹の式と同じ方だった。そんな色々なご縁がとても有難かったと知世さんは語る。
 


これからも、いつも2人で
 今の心配は、近くで別々に暮らすようになった祖父母のこと。時々電話をし、顔を見に行く。ダンス講師は生徒が来なければ成り立たない仕事だ。いずれはまた洋菓子作りに戻って、この町で2人で小さな喫茶店を開きたいと考えている。その前に早く家族が増えて欲しいと思っていますと、にこやかに語ってくれた。

 


 

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