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お参りをかさねて
新潟市西蒲区 坂爪良子さん 75歳

2012年3月号

永石光陽

新潟市西蒲区 坂爪良子さん 75歳
新潟市西蒲区 坂爪良子さん 75歳

坂爪良子さんは、銀行の巻支店長を務めていた佐藤秀夫さん・セイさんの間に、6人兄弟の長女として生まれた。生家は日蓮宗ではなかったが、母が妙光寺深縁の五ヶ浜・遠藤家(P8「ご判様の由来」参照)の末裔で、幼少のころから何かとお題目にはご縁があったという。

24歳の時、三条で親戚の工場を切り盛りする坂爪武臣さんと結婚。翌年待望の第一子を授かるも、生後間もなく、その手に抱くことなく他界してしまった。悲しみの中、光明を得るように続いて娘を授かるが、今度は自分の心臓に病が見つかった。成功確率が50パーセントに満たないという難手術で、受けるか否か迷った。でも、まだ幼い子を残して死ねない。周囲の反対を押し切り手術を決意、無事成功した。その時、「おまけの人生が始まる。これからは人の為に尽くしていこう。」と思い、人生観が変わったという。

昭和49年、巻に現在の家を建てたのを機に、巻駅のキヨスク≠ノ勤め始めた。同じ頃、新築の家に加茂市から越してきたばかりの義父が亡くなった。法華宗で第一子の菩提を弔った坂爪家だったが、色々な縁があってこれからは角田の妙光寺様にお願いしようと家族でまとまり、先代住職が葬儀を執り行ったことから当山の檀徒となる。

巻での生活が落ち着いてきた頃、夫の身体が変調を来たした。下半身の大やけどと2ヶ所のガンの手術を乗り越えて、懸命に働いていた夫武臣さん。それなのに今度は全身の筋肉が次第に衰えていく、筋萎縮性側索硬化症<ALS>の兆しが現れる。徐々に動けなくなっていく難病に、夫とともに向き合った。早朝から駅で働きながら、夫を看病する生活が続いた。しかし平成18年、病状が進み夫は入院。良子さんは7ヶ月間毎日病院に通ったが、今生の別れを迎えることとなった。

こうして、良子さんはお寺に一層関心を寄せるようになった。春秋の彼岸・お盆とお寺の行事に足を運び、お題目を唱えた。現在は巻講中のお経会に入会し、毎月お寺での朝の信行会にも出て信心を深めている。

「いろんな人のおかげでお唱えするようになり、次第に自分が楽になりました。最初はお経のことを教わりたかった。そして繰返し主人の菩提を弔うと、きっと主人も喜んでいると感じるようになりました。お参りを重ねることで相手のことを想うようになったかな。」と笑いながら語る。

「人生を振り返ると、我が子を喪い、実父母・義父母を看取り、夫の介護から看取りまで。私には人に尽くすお役目があったのかも。そんな経験から自分の死が怖くなくなりましたよ。」そう語る良子さんに、これからのことを尋ねると「一日一日を大切に生きる。周りを大切にしていく。もう30年以上もおまけの人生を頂いているんだすけ。」

すでに自分の遺影も準備し、保管場所を息子夫婦に伝えてある良子さん。心根の落ち着きが、穏やかにお題目を唱えさせ、さらに信心を深める。こうしてお話を伺っている間も家には来客があり、その度に笑顔で言葉を交わす。これも数々の経験を通しながら、自分の心を磨き続けている良子さんの魅力の賜物たまものだろう。

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