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村の鍛冶屋さん  新潟市角田浜 安藤勇次郎(76歳)さん

2010年7月号

小川英爾

村の鍛冶屋さん  新潟市角田浜 安藤勇次郎(76歳)さん

安藤さんは鍛冶屋として60年の腕を誇る。妙光寺でも岩屋のロウソク立に賽銭箱、ご判様に立てる幟旗の台座の金具、客殿案内板の台座等々数えきれない品々を作ってもらった。本堂の金属製の花瓶修理などはお手の物。今、安穏廟水屋の土台金具と花立ての台を制作中だ。必要な物があって電話すると、近いのですぐにメジャーを持って自転車で駆け付けてくれる。

技術は15歳から5年間曽根の親方に弟子入りして身につけた。当時は農業が機械化されていないから、クワやスキ、牛が引くゴロの歯、さらには鉈から包丁まで作ったり修理したりした。年季奉公が明けると千葉の工場で、裁ちばさみ、剪定ばさみを作る職人として働いたが、母親の病気のため2年で家に戻った。その後近くにあった砕石工場で数年働き、自営で10年間、当時は悪路で壊れやすかったダンプカーのスプリングやラジエターの修理までやった。その後、腕を見込まれて町の大手建設会社の溶接工として21年間勤務、14年前に定年退職した。

退職1年前から妻のキヨミさんが難病で寝たきりとなり、以来昨年1月に亡くなるまで13年間、ヘルパーさんの手を借りながら自宅で、食事から下の世話まで介護し続けた。昨年秋にはその遺骨の一部を抱え、お寺の団体で念願だった本山の身延山参りを果たすことができた。30歳のとき母親の遺骨を抱えて参拝して以来、45年ぶりだった。

キヨミさんを看取って以降は時間ができて、日課の畑仕事と朝晩のお仏壇参り、そして寺の行事参加を欠かさない。「身延山に行って45年ぶりの七面山登山は体力の衰えを感じた」と言うが、まだまだかくしゃくとしてその器用な手先も健在で、時折近所から持ち込まれる鍛冶屋の仕事も現役で難なくこなす。

自宅の仏壇は昨今の仏壇店の既製品でなく、家を新築した際に住職の設計で、昔のように間口一間の作りつけにした。それだけ大きな御本尊と仏像が納まるという、職人のこだわりでもあった。

現在は長男夫婦と孫の6人暮らし。縁あって北九州に嫁いだ長女家族が遠いのが寂しいという、家族思いの安藤さんでもある。

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