「ウチは私で四代目です。弟は幼くして病死、その下を妊娠中の母親が転んことが原因で母子ともに死んだと聞かされました。母が32才、私が9才のときで、以来父親に育てられました。父親は新潟の香月堂という和菓子屋で修業した菓子職人でしたが、母親が亡くなって手が無く、店を閉じて主に弥彦の菓子屋に勤めていました。
この父親と幼い頃からずっとお寺参りを続けてきたので、今もお寺の全ての行事は欠かしません。老人クラブの旅行も誘われますが、お寺参りが一番好きです。バス路線が廃止になってからは、一人息子が送ってくれます。私のお参りする姿を見ていて欲しいのです。帰りは近所の真島さんにお願いして乗せてきてもらいます。
一人娘の私が婿を迎えましたが、息子夫婦とは同居はしていません。可愛い孫娘二人も成人しました。四年前に先立った夫は鋳物の職人で、燕の工場に何十年と通いました。私は7回、本山の身延山にお参りし、七面山にも二度登らせてもらいました。そのうちの5回は夫と一緒で、とてもいい思い出です。
若い頃は愛知県の紡績工場や、東京で当時の皇太子様の警護役の偉い方のお宅で働いたこともあります。結婚してからは近所の甘納豆工場で20年近く働き、辛いこともありましたが真面目に勤めて感謝されました。今でもそこからお菓子が届きます。
毛糸を織って色々作るのが趣味でしたが、最近は根気が続かず、もっぱらタオルで雑巾を縫っています。糸を二重にして縫うから丈夫で、お寺で使ってもらったり、近所の銀行に上げたりして喜ばれています。手を動かしていればボケないかと思ってね。
一人暮らしは全て自分でやらないといけないので大変だし、寂しくないと言えば嘘ですが、これも宿命だと思ってます。先日近所のスーパーで幼馴染と遭いましたが、だんだんあの世が近づいてきたけど、お互いになるべく自分のことは自分でできるようにしていたいね、って話しました。今は健康でいられるし、ご前様から生前戒名を戴いているんで、何の心配もありません」。
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