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俗信、迷信

2008年3月号

小川英爾

最近テレビの影響でしょうか、以前は耳にしなかったような仏教とは無縁な話題がとても気にかかります。田舎の話でしょ?なんてことではなく、都市生活者のほうが迷信深いなんてこともあります。近頃言われだした話、昔から言われてなかなか変わらない話、そのいくつかをまとめてみました。思い当たることはありませんか。

法事は命日の前にやらなければいけない?

以前は全く聞いたことがなかったのですが、近ごろ特に耳にするようになりました。何処かで誰かが言い出したのだろうと思われます。テレビによく出る女性占い師でしょうか。

そもそも法事は故人の供養であると同時に、これを通して親族が血縁の絆を確認する意味合いもあります。ですからお斎といって法要の後、皆さんで食事を共にしますが、これは法事を催す人が参列者に供養を施す修行の意味と、もうひとつ仏様、故人、親族が”同じ窯の飯を食う”ことで連帯感を持つという意味があります。そんな訳で農村部の以前の法事は、収穫が終わり農作業が一段落した秋に集中していました。新米をお供えし皆戴く感謝の気持ちもあったのでしょう。また一方で漁村では漁に出られない冬に法事が行われたと聞きました。

いずれもそこでは故人の命日よりも、生きることに懸命な毎日の生活が優先したのです。それでも亡くなられて間もない一周忌は、命日に近い日を選ぶことが多いのですが、三回忌以降では遺された家族の生活を優先された日取りでもなんら問題はありません。

ただ人間は怠け心が優先しがちです。多忙な現代社会では家族全員の都合を合わせるだけでも大変ですから、命日前にという締切日を設定し互いに歩み寄らないと、なかなか日取りが決まらないということなのだと理解されたら如何でしょう。

お墓には墓相といって守るべき形や方角があり、これを破ると家族が不幸になる?

仏教上根拠のないまったくの迷信です。古い時代の中国にも似たような話があるものの、これは風水といって土地(墓地)が水害を受けない場所を選ぶといった、ある程度合理的な考え方だそうです。しかし日本の墓相学は昭和に入って急に盛んになったといわれ、墓石商売に結びつけたい背景が見え隠れします。墓石の形や方角はその土地の地形や時代ごとにさまざまです。墓相研究者と自称する人は「何万件の資料に基づいた科学的云々」と言いますが、それでいて人により説がバラバラで、互いに相手を中傷すらするありさまです。その内容たるや、○○の墓は事業の失敗、家族内の揉め事、家が××になるなど、なかには差別的言葉を挙げるものまであって、例としてあげるのもはばかられるほどです。占いの類にはいるのでしょうが、無闇に恐怖心をあおるなど害悪ですらあります。

友引の日に葬式をだすと友を引くといって、引かれるように関係者が続いて亡くなる?

その日の吉凶を占う日柄信仰というもので、江戸時代に普及した暦にさまざまな吉凶が書かれたことがはじまりです。友引はそのなかの六曜という、比較的新しく、それだけ広く普及した暦にあるものです。もとは中国製で日本に入ってから変化して、現在の先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の六通りを一定の法則にしたがって順繰りに当てはめたものです。説明は省きますが、その法則は聞けばそんなことかというほど、単純なものです。 これも占いそのものですが他の暦以上に普及したのは、単純でわかりやすかったことと、ある時期に仏教でも利用したせいだといわれています。友を引く友引というダジャレのような理解が広まったのも単純な話で、これもまったく根拠のない話です。

以前は友引には火葬場が休みということもありましたが、現在は公営の火葬場でそんなことを理由に休むところはないはずです。(注:東京の火葬場は大半が民営会社です)ただ友引の葬儀を嫌う方が圧倒的ですので、葬儀社と寺はこの日に会合や研修会を開くのが通例になっています。

あるお宅の事情で友引の葬儀にならせざるを得なかったことがありました。若かった私は心配ないと話したのですが、不安げな親族に葬儀社のお爺ちゃんが「こういうときは昔からご遺体にお人形さんを入れてるから心配ないよ」と語り、納得されたことを思い出します。理屈でなく知恵なんですね。

仏壇に故人の写真を飾ると良くないことが起きる?

これも最近つとに耳するようになりました。テレビの影響かと思いきや、ある伝統仏教教団が言っているらしいのです。檀徒のお宅で「よそのご住職の法話で聞いたけど本当ですか?」とよく尋ねられます。その理由として仏壇は呼んで字の如し、仏様をお祀りする壇であって、位牌はいいが写真は故人の成仏を妨げるからいけないと。理解に苦しむ話です。

確かに仏壇は仏の壇なのでその中心にご本尊があるのですが、そこに故人の写真を置くのは間違いです。二段目に位牌があり、その下に故人を偲ぶよすがとして生前の写真があることはなんら問題なく、折に触れ思い出してあげることは供養でもあります。

ただ写真があることでいつまでも故人の思い出ばかりに浸り、日常生活に戻れない、立ち直れないということでは困ります。写真が思い出すよすがになっても、とらわれてしまう執着を引き起こすようでは大切な方も浮かばれないというのも一理あるでしょう。

生前に自分の墓を建てる、生前に戒名を受ける、故人がいないのに仏壇を買い求める、これらは早死になるからやってはいけない?

こういう話は以前から言われています。お寺が葬式や法事、お墓といったいわゆる人生の不祝儀を担当するよう江戸時代に割り当てられたことが元にあるかもしれません。お寺に関わることはすべてが死につながることのようにイメージされてしまっています。お寺もそのように対応してきた責任があります。

でも本来の仏様の教えは、人生において避けられない苦しみに向き合って生きることにあります。そのための心構えを学び、心を鍛えるところに人間としての喜びを見つけることなのです。その修行を心に決めたときに決意の証として戒名を受けるのですから、亡くなってからでは遅いくらいなのです。

そしてその修行を自宅でも行えるよう、お寺の出張所として家庭に仏壇が広まりました。位牌を納める所としての仏壇だから、故人もいないのに求めるのは早死にするという考え方は明らかに間違いです。それでも昔の人は「家を新築したら仏壇を入れなさい。仏壇のない家は納屋と一緒だ」と教えました。

昔なら自分が亡くなった後、子孫が立派な墓を建ててくれる時代だったかもしれません。今は自分で準備する時代になったように思います。かの中国では生前に建てる墓を寿陵(じゅりょう)と言い、長命で縁起のいいことだとある、というのは真偽のほどは不明ですが。東南アジアでは親の元気なうちに子供たちが豪華な棺おけを贈る習慣があると現地で聞きました。元気で長生きしてくださいという意味を込めてのことです。

四十九日忌法要は三ヶ月に渡る日にやると不幸が続く?

命日が月の後半十四日以降だと、四十九日目は翌々月の一日以降となり、三月にまたがります。これを関西では嫌い、四十九日忌の法要を繰り上げて行うと聞きました。理由は三月(みつき)→身付き、不幸が身にくっついてしまうということだそうでした。説明の必要なしですね。

葬式から戻ったら必ず塩を体にふらないといけない?

葬儀に参列すると「清めの塩」が配られたり、それを自宅に戻って体にかけてから家に入るという風習はいまだに残っています。一体何を清めるのでしょうか。昔の人たちは悪い霊が取り付いたために死者が出たと考え、それを家に入れないために塩で払うと考えたようです。また死は汚らわしいこと不浄なこととして嫌いましたので、塩をふって不浄を払い去ろうとしました。これらは古い神道に近い考え方で、仏教ではありません。ですから近親者が亡くなるとしばらくは神社の鳥居をくぐらないという習慣もあるようです。

亡くなられた大切な親族の死が汚いこと、不浄なこと、嫌うことだとは仏教では決して教えません。昔の人の死への恐怖感は現代人以上だったかもしれません。今の私たちにとって、必ずやってくる死は考えたくもないこと、では済まされない時代に生きていることを考えたいものです。

遺骨はなるべく早くお墓に納めないと故人が成仏できない?

これもそのように思い込んでいる方が多いことに驚きます。まず日本にはその様な法律もないし、ずっと埋葬しないで傍に置いていても法に触れません。

いつ埋葬するかは地域の習慣で行われています。妙光寺の周辺では一周忌が大半ですが、すぐ隣の村では丸2年後の三回忌が普通です。最近では都市化した地域ほど四十九日での納骨が増えているようです。これは住宅事情や核家族化して日中誰もいなくなるといった家庭内事情が背景にあります。千葉には火葬場の帰りにお寺参りして次いで墓に納骨し、手ぶらで帰宅する地域もあります。土葬が日本の古い習慣ですから、葬式が終わればすぐに埋葬するのが本来の姿といえるかもしれません。

火葬が一般化して遺骨を手元に置くようになったのは明治の後半以降と言われています。その埋葬時期は地域でいろいろだったということでしょう。大切な方を失い、いつまでも遺骨を傍に置きたいと願う気持ちは十分理解できます。ただそのことにいつまでも心がとらわれて、次なる自分の人生に歩みだせないことは、故人にも本人にも周囲にも気の毒なことです。遺骨ではなく、故人の思い出とともに生きていける覚悟ができたとき、それが埋葬のときではないでしょうか。無理に早める必要はまったくありませんが、いたずらに引き伸ばすことを戒めた言葉だとご理解ください。

数珠が切れるのは不幸の前兆?

数珠の珠は木の実、石、貝、琥珀、金属など様々な品で作られています。これを繋いでいるのが絹のような糸ですから、長く使っていればいつかは切れます。しまいっぱなしでどこかの葬式でしか使わないという方よりは、いつも使ってお参りされている方のほうが糸の切れる確立が高くなるのは当然です。その方に不幸が訪れやすいとはとても思えません。

仮に数珠が切れても繋ぎ直して修復できるので、珠がバラバラと散乱しないよう注意することです。ことに珊瑚、琥珀や高価な石を作った数珠は不足した珠を揃えるのが大変ですから、たまには糸を点検して切れる前に繋ぎ直しを心がけてください。妙光寺でも数珠屋さんをお世話します。

厄年ってお払いしないと災難を受ける?

男性の25才と42才、女性の19才と33才。案外に科学的根拠のある話として最近は言われるようになりました。ひとつには体質が変化する年齢だそうです。男の25、女の19は青年から中年への成熟期で、生物学的に結婚に適する年齢でもあるそうです。男の42才と女の33才は老化へのスタート年齢とか。

同時に前者が結婚等で家庭人として社会的に認められる年齢で、後者は社会の中心的役割を担う立場の年齢となり、その責任が重くのしかかってくるというのです。ですからその昔は厄年ではなく役年と書いた当という話もあります。もっとも年齢の根拠に33(散々)、42(死に年)という語呂合わせもありますが。

身体的にも社会的にも負荷がかかるということは今も昔も変わらないようです。そこでお払いを受けて仏様のパワーを戴きつつ、細心の注意と自覚をもって前向きに生きることはお勧めです。妙光寺でもお受けしています。厄年は数え年でやることをお忘れなく。最後は宣伝でオチとさせていただきます。

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