誌上法話
〜譬喩品第三 三車火宅〜 |
2018年12月号 |
小川良恵 |
譬喩品の「譬喩」はたとえ話のことです。『法華経』は前章の方便品において、仏に成るための乗り物は一つであることが明かされました。譬喩品では、この一仏乗の教えを誰もが理解できるように、文字通り「たとえ話」を用いて説いています。こうしたたとえ話がいくつも語られるのが『法華経』の特徴で、代表的な7つのお話を「法華七喩」といいます。譬喩品には、その一番目であり最も有名な「三車火宅の喩え」が登場します。
遊びほうける子どもたちと父親
ある長者が、大きな屋敷を持っていました。しかしその屋敷は、門がたった一つしか無く、建てられてから長い年月が経っていたため老朽化が酷く、今にも崩れそうな状態でした。しかも長者が留守の間に、火事が起こってしまいました。ところが家の中で遊び呆けている子どもたちは、気づく様子がありません。慌てて帰宅した父親である長者は、一計を案じて呼びかけます。「素晴らしい玩具をあげるから出てきなさい。羊の車、鹿の車、牛の車があるよ。今、門の外にあるから、出てきて好きな車を選びなさい」大喜びで燃えさかる家から出てきた子どもたちに、長者は安堵し、全員に最高級の車を与えます。それは、様々な装飾が施され、真っ白で大きな牛が引く、実に豪華な大白牛車でした。
すべての衆生に与えられる仏乗
このたとえ話の中で、「火宅」とは苦しみや迷いに満ちたこの世界を示し、火事に気づかない子どもたちとは私達衆生を表しています。「長者」とは仏様のことで、自らが苦しんでいることにすら気づいてない私達を救うために、「三車」つまり方便品第二で説かれた声聞乗・縁覚乗・菩薩乗という救いの道を示して下さりました。
しかし最終的に、火宅を離れて出てきたところへ、全員に同じ大白牛車、すなわち「仏乗」を与えて下さった……というのが「三車火宅の喩え」です。仏に成るための道は、誰にとっても一つであるという教えを示しているのです。
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