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安穏 身延山団参での再会

2018年12月号

小川良恵

ひょっとして、雨女?
 9月29〜30日の2日間、身延山団体参拝に行ってまいりました。もともとは31日までの2泊3日で、七面山登詣を予定していました。ところが台風の影響で登山道が危険と連絡があり、急遽1泊2日に短縮しました。幸いにして台風の直撃を受けることなく、無事に日程を終えることが出来ました。振り返れば住職交代式もお天気がすぐれず、初めてのご判様も送り盆も雨降りと、どうにも雨に見舞われます。雨女≠フ自覚はありませんでしたが、院首は「住職になってから、ご判様が雨になったことはない」と常々お説教のネタにしてきました。私は法力不足なのかなと心配になることもありましたが、今回のお参りでのある再会で考え方が変わりました。
 
久遠寺での再会
 久遠寺では、「祖廟輪番給仕そびょうりんばんきゅうじをしました。日蓮聖人にお給仕をすることを目的としたお参りです。お給仕と言っても、御飯を作るわけではもちろんなく、日蓮聖人の御遺骨が収められたお堂の前で法要を行い、お祖師様に感謝してこれからも信仰に励むことを誓う儀式です。法要の導師は参拝寺院の住職が務めますが、他のお寺さんと一緒になることもあります。今回は妙光寺と都内のご寺院の二ヶ寺でのお参りと聞いてはいたのですが、当日僧侶の控室に入った私はとても驚きました。
 一緒になったご住職が、私が僧道林という道場で教えていただいていた先生だったのです。さらに控室でお話してみると、先方も七面山へ登る予定が台風で中止になったとのこと。予定では、先生が七面山に引率し、久遠寺での奉仕は先代の院首様が務められることになっていたそうです。七面山に登る予定は一日違っていましたので、予定ではすれ違いです。台風がなければ再会することはなく、日蓮聖人の御前でご一緒に法要をあげることもありません。前回もご縁のことを妙の光に書きましたが、あらためて仏様のおはからいかなと思った次第です。
 
霊山之契――発祥は妙光寺
 さてこの輪番奉仕では、お参りの最後に『霊山之契りょうぜんのちぎり』を授かります。「『霊山之契』を戴くことは現世においても、また未来世にてもなおこの契りに結ばれ、いつも日蓮聖人とともに在るという証でありますので大切にお仏壇にお祀りして下さい。」と久遠寺からのご案内には記されています。つまり、日蓮聖人とのご縁を自覚し、努めて生きなさいという証なのです。まさにこのことを、ご縁の不思議という形で現されたのだなと思わずにはいられません。
 実は、この『霊山之契』の発祥は妙光寺と聞いています。「霊山への契約にこの判を参らせ候……」日蓮聖人が妙光寺と縁の深い五ケ浜の遠藤家の先祖、遠藤正遠氏に遺されたお手紙の一節です。佐渡流罪の日蓮聖人を幕府の役人として見張る立場の遠藤氏が、信者となって仕えてくれたことへの礼状で、日蓮聖人が遠藤氏を霊山に案内する約束としてこの判(印鑑)を授けるという内容です。約束の証の印鑑こそが、皆さんもご存知の「御判ごはん」なのです。
 妙光寺では、この『霊山之契』を亡くなられた折に棺に入れます。皆さんには「あの世の入り口で日蓮聖人が待っていてくださる。という約束のことなんですよ」などとお話します。実はそれだけではなく、生きている間から仏様や日蓮聖人、周りの人々と縁を繋いで、大事にしていきなさいという教えが込められています。日々の生活の中の雨や台風のような一見すれば不運や不幸に思えることでも、実は私達に何かを教えようとしている。そう考えて、これからも明るく前向きに色々なことを受け止めて生きていきたいと改めて思いました。
 身延山団体参拝は来年も予定しています。来年こそは七面山にもお参りします。是非ご参加ください。
 


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