日蓮宗 角田山妙光寺 角田山妙光寺トップページ
寺報「妙の光」から 最新号 バックナンバー
HOME >> 寺報「妙の光」から >> 信心プラス『90歳で元気に身延山参り』

信心プラス『90歳で元気に身延山参り』

新潟市角田浜 大滝リユさん(90歳)

2018年12月号

院首

この9月末、総本山身延山久遠寺への団体参拝旅行に、リユさんは長男夫婦と次男・次女の5人で参加した。満90歳を数えるが元気で、広い山内を皆さんと一緒にくまなくお参りして歩き通した。
 大滝家は専業農家でリユさんは2人姉妹の長女なので婿取りだった。やはり婿だった父と夫は村や消防団、土地改良組合等の役職で忙しかった。母が病弱だったから、学業を終えた15歳からほぼひとりで農作業を担ってきた。田んぼの他に麦・サツマ芋・スイカ・菜種作りと、長男が後継者になるまでは忙しかった。夫は50代でくも膜下出血で倒れたが、幸い80過ぎまで長生きしてくれた。
 「3人の子育ては母親がまかってくれたが、あの頃妙光寺の先々代住職が全国に先駆けて始めた0才児から預かる保育園が村内にあって本当に良かった。忙しい農家の嫁の立場を考えてのことだと聞いた。私は嫁ではなく娘だから、辛いと思うことはなかったけど、ずっと働き通しだったから、今こうして元気でいられるのかもね」と笑顔で言う。
 
3代続く檀徒総代
 長男の剛さんは現在妙光寺の檀徒総代で、リユさんの夫と父も総代を務めた。ことに父の金吾さんは、現院首と新潟市中心部から妙光寺までの25qを団扇太鼓を叩いて歩き、70代後半で一緒にインドへ仏跡参拝にも行った。総代引退後、認知症になってからも「今日はお寺に行く日だ」と、着替えて家を出ることが度々あるほど思いは妙光寺にあった。
 病弱な母ソヨさんは信仰で健康を取り戻そうと、真冬に水垢離する寒行をし、雪の夜道を団扇太鼓を叩きながら寺参りをした。当時は仲間も多く、夫の金吾さんも皆と一緒にお参りした。また県内外の日蓮宗寺院をお参りに訪ね歩く”千ガ寺参り“も、夫婦で行った。そのおかげか、2人とも長命だった。
 リユさんの祖母タキノさんは、37才で亡くなった夫を弔うため、身延山の宿坊にお墓を建てた。“本山納骨”といい、熱心な信者が日蓮聖人と同じ地に分骨埋葬する習慣で、今も続く。大滝家ではその墓にタキノさん・金吾さん・ソヨさんも分骨してあり、リユさんの本山参りの目的はそこにもある。
 
一番の楽しみはお寺参り
 日々の農作業に追われてきたリユさんの初めての身延山参りは、50歳を迎えたときだった。「長男の運転で両親と自分たち夫婦の5人旅。得も言われぬ感動で、忘れられない思い出だと語る。
 以来お寺の団体で、時には家族で参拝し、標高2千m徒歩4時間の七面山には4回登った。登らない時も含めると参拝の回数は数えきれない。「いつお参りしても、なんとも言えない清々しさと、心の安らぎを感じる。以前は8時間以上かかったけど、高速道路ができた今は5時間弱だから、日帰りだってできそう。まだまだ行ける」と気力は衰えない。
 
墓じまい?
 江戸時代から各宗派とも、信仰を同じくする人たちの集まりである“講中”が、全国各地にあった。現在妙光寺では集落ごとに名前は残るが、活動しているのは4カ所だ。リユさんは『角田浜講中』の中心でまとめ役だった。
 「最近は近所のお参り仲間が亡くなったり病気をしたりで、めっきり少なくなった。講中の集まりも冬と夏の年2回やっていたのが、今は冬だけで数人しか集まらないし、妙光寺の行事参加も少ないのが寂しい。」「身延山にあるお墓も孫の代になるとお守りが負担になると困るから、今流行の“墓じまい”をして妙光寺に引き上げようかと考えていた。そしたら長男夫婦が自分たちも入りたいから心配するなと言ってくれたことが嬉しい。子供も孫もひ孫も、それぞれの人生だから何事も無理強いはしない」と語る。自身は妙光寺の行事参拝を欠かさず、心穏やかな毎日を過ごしている。
 

 

  道順案内 連絡窓口 リンク