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傾向の変化

2006年12月号

『あんのんのページ』コーナーより抜粋

「宗教とは無縁と思っていた私が安穏廟と出会ってから、その考えが少々変わってきたような気がする。墓は死後のものだと思っていたが、生前に私たちの思いを墓碑に刻み、しかも自然に恵まれた環境のもとに幾度となく訪れ、そして本堂に礼拝することで、私は人生への達成感、安心感、自己の証を肌で感じることができるのである。これも妙光寺(宗教)とのご縁の賜物と感謝している」

以前皆さんに戴いたアンケートの回答で、住職冥利に尽きる一文でした。こうした方は少なからずおられると自負してきましたが、最近は初めて相談にこられる方の傾向が変わってきているようで気になっています。

「宗教色なしでお葬式をしたので今後もそうしたことは一切要りません。」「葬式は葬儀社で紹介されたお寺にお願いしました。今後の法事もそのたびに葬儀社に相談することになっています。檀家になって何かと寄付とか縛られるのが嫌ですから。安穏廟はそのてん自由でいいのですよね?」という方が多いのです。

多くは深く考えてのことではなく、寺とか宗教はお金がかかり、何かと強要されることがある面倒な世界という、近頃の世間一般の情報を鵜呑みにしているようです。そんな方に「妙光寺では・・・」と、問われないのに説明することもできないし、なによりも以前と違って、はなから寺(宗教)に対して拒絶感があります。どうしても先々に行っても気持ちが通いそうもない方には、やんわりとお断りすることもあります。

お寺にも反省点が多いので、間口を広げて幅広く受け入れようと始めたのが安穏廟です。でもなんだかそこに土足で入って来られる感じがしてしまうのです。最低限仏様への敬意の気持ち、そして自分のことだけでなく従来の檀信徒、会員の皆さんに対しての配慮もあって欲しいのです。

ただこうした傾向は失礼ながら中高年の女性に多く、若い世代に極端な思い込みがないことにホッとさせられます。同行してくる30前後の子供でもいると、どんどん質問し理解していくのです。だから妙光寺の思い上がりでなく、社会の風潮だと思っているのですが如何なものでしょう。

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