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迷惑をかけたくない?

2011年9月号

小川なぎさ

暑い夏が終わろうとしています。いかがお過ごしですか?

お盆の境内はお墓に花畑のようにたくさんの花が手向けられていて、まるでみんなの魂が集まっているように見えました。また、夏最後の行事「送り盆」では角田浜の若手、毎月の信行会の方々が練習したお経を唱えながら散華をする姿に、じーんと少し泣けました。そして久しぶりに私が子供だったころの夏を思い出しました。

私の父は魚沼塩沢町の出身で生家は小さな農村にあり、お盆になると一族全員が集まりとても賑やかでした。祖母の畑のとうもろこし、お盆の仏壇の綺麗な提灯、おつかいで、びんをかかえて酒屋に葡萄酒を買いに行ったこと、なぜかその鮮やかな色ばかり覚えています、いつもとは違う特別な日、それがお盆でした。

さて先日、近くに住む妹と母を誘って久しぶりに食事をしました。世間話をする中で母が「あたしたちはさ、(母の友人たち)みんな子供の迷惑にならないようにがんばっているんだよ」と言い、「今はね、病気になっても子供はあてに出来ないからシルバー人材とか、まごごろヘルプという所に頼むととてもよく看病してくれるんだって」などなど、情報も話してくれます。妹は「えー私だってママとパパの面倒はみるよー」と親孝行なことを言います。私自身も義母の介護で大変だったときには自分の子供に面倒はかけたくないと確かに思いました。でも4人の娘を大学に進学させ、考えが変わりました。全員が奨学金を借りながらも、その仕送りで全く老後の貯金どころではなかったのですから。同居する三女には「私たちはさ、老後はみんなに投資した分回収とまではいかないけれど、面倒はかけるからヨロシク!」「うんわかった、みんなにおふれを出しておくよ」という顛末。

この“迷惑はかけたくない”という言葉を近頃よく耳にします。「老後の世話や、お墓やお寺との雑事を子供にさせては申し訳ない」と。人生の後半期は墓を含める祭祀の継承、介護、老後の資金、寂しさなど心配はたくさんあります。その“迷惑かけたくない”という言葉は、とても情緒的で「そうなの偉いね」と思います。でも一方で少し違和感もあります。その言葉の裏には最後まで自分の意思で自立して暮らしたい。愛するわが子に嫌なことをさせたくない。そんな親の側からだけの意味が含まれているように感じるからです。言いにくいのかも知れませんが、子供としては「頼んだよ」と正直に言っても良いのにと思います。

娘4人という状況で、いつか一人になると思いながら暮らしています。母親としては迷惑をかけたくありませんが、母の娘としての自分は「いいじゃん。迷惑かけても!」と思います。人間の感情は複雑です。

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