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開創七百年記念インタビュー
終活ノートは人生を終える旅のガイドブック―『妙光寺の終活ノート』
協力者に聞く―

2014年7月号

新倉理恵子

この夏、『妙光寺の終活ノート』が完成し、この『妙の光』とともに皆さんの手元にお届けすることができました。『終活ノート』のプロジェクトは、昨夏の「送り盆」での160人の大編集会議から始まり、1年がかりの作業となりました。この間『終活ノート』協力者として、ご前様と二人三脚で頑張ってくださったのは、寺院コンサルタント薄井秀夫さんです。日本中のお寺を取材し運営の相談にのっておられる薄井さんに、妙光寺の現状への感想と、『妙光寺の終活ノート』にこめた思いをうかがいました。

薄井秀夫さん(48歳)
群馬県生まれ。東北大学で宗教学を学ぶ。新聞社と出版社に勤務したのち、平成19年に且實@デザインを設立し、寺院コンサルタントとして活躍している。著書に『10年後のお寺をデザインする』『寺院墓地と永代供養墓をどう運営するか』など多数。

内藤昭栄さん
Q.薄井さんは、なぜ「寺院コンサルタント」という仕事をなさることになったんですか?
(薄井)出版社に勤めているときに、「寺院活動」の連載を毎月書いていて、100件くらいの寺院を取材しました。そのうちに自分の得た情報をあちこちのお寺に提供して、お寺の活性化のお手伝いをするようになりました。そして結局会社を辞めて、コンサルタントを本業にしたのです。
Q.お仕事の中で、活性化しているお寺とそうでないお寺を見てこられたわけですね。
(薄井)そもそも寺院離れが進んでいる時代ですから、お寺というのは全体として斜陽産業です。田舎の過疎地では人がいなくなり、都市部のお寺は収入はそれなりにあって何とかやっていても、檀家さんとの結びつきはだんだんと減っていきます。行事の参加者数は、驚くほど少ないのです。つまり経済的にはなんとかなっていても、宗教的には壊滅状態です。下手をすると、都市の中心にある寺院は墓の管理と葬儀をするだけになっていく可能性もあります。
Q.社会の変化にお寺が翻弄されているんですね。
(薄井)そうですね。でも一方でお寺の側の問題もあります。昭和20年から64年までは日本経済はずっと右肩上がりで、寺の運営も順調でした。特別な努力をしなくても、日本の寺院の檀家は自然と増えていきました。右肩上がりの時代の中で、寺は努力を忘れてしまったという印象があります。その感覚がまだ残っているということもあり、檀家さんとコミュニケーションをとらなきゃいけないということを忘れて、ただただ真面目にお経を読んでいれば寺は活性化すると思っている僧侶が多いですね。でも、そんな時代はもう終わってしまいました。
Q.その中で妙光寺のように新しい道を切り拓こうとしているお寺は、どのくらいあるのですか?
(薄井)5%以下ですね。でも平成10年くらいから「これではだめだ」という雰囲気が少しずつ出ています。妙光寺のように平成の初期から活動して活性化してきたお寺が全国にいくつかあるのですが、その姿を見て、じゃあ自分たちも頑張ろうと思っている若手のお坊さんたちが出てきているのは事実ですね。でも、その人たちもごく少数派です。お坊さんになるための教育はお経を読むことと教えを学ぶことだけで、寺院運営に関わることはゼロですから、ただ真面目にやっていればなんとかなるという考えを乗り越えるのは難しいのです。
では現在の妙光寺のことを、どのように見ておられますか?
(薄井)いろいろな寺を見てきた私にとって、妙光寺の現状はもう奇跡に近いです。田舎の寺を活性化させる方策は、現代の日本ではほぼありません。ここは合併前まで「西蒲原郡巻町」でしたが、「郡」がつく所で永代供養墓に取り組んで成功した例は、日本では妙光寺1ヶ所だけです。
Q.えっ!妙光寺だけなんですか!
(薄井)都市部にはあります。都市部以外では、ここだけですよ。妙光寺以外には、ここまでの成功例は1件もありません。これはもう、確実に言えます。
Q.安穏廟は、どこが良かったのでしょうか?
(薄井)時代のタイミングと、住職の力量ですね。小川住職の素晴らしいところは、安穏廟を募集しただけでは終わらないところです。「送り盆―安穏フェスティバルー」も25周年になるそうですが、ああいう行事をやるのは大変です。お金もかかるし、手間もかかります。でもそれを頑張って、お寺に集まってくる人たちのコミュニケーションの場を作っている。「送り盆」に参加していない安穏会員だって、いつでもお寺が開かれていることを感じているはずです。住職が何もしていないのでは、いざという時に対応してもらえないのではないかと不安になりますよ。
 小川住職と接していると、強いコミュニケーションへの欲求を感じます。とことん相手とつきあうし、人を差別することは絶対にない。人が集まるということには、それなりに面倒なこともあります。でも小川住職は、その面倒さを乗り越えている。面倒なことを積極的にやるというのは大切なことです。妙光寺は本当に、いつも誰に対しても開かれています。本来寺はそうあるべきだと思いますが、残念ながらそういう寺は現代の日本では少ないのです。
Q.『妙光寺の終活ノート』が、このたび完成しました。お寺が終活ノートを作ることには、どんな意味があるのでしょう?
(薄井)もともと葬儀は、親族や地域の人たちの手で行われてきました。ところが今は葬儀社と相談して、各自が詳細を決めなければなりません。しかも核家族化が進んで葬儀を出したことがない人が増え、親子のコミュニケーションも希薄になっています。経験も知識もないのに、すべてを自分で判断しなくてはならない時代なのです。医療についても同じです。昔はすべてを病院に任せていましたが、今は患者側に多くの選択肢が用意されていて、知識がなくても各自で判断しなくてはなりません。
 現代は死に至る過程に関する知恵(医療・葬儀・相続など)が必要とされている時代であり、お寺はその知恵が自然に集まってくる場所です。人は葬儀社には話せないことも、顔なじみの住職には話します。お寺は、死に至る知恵のハブ(結ぶ拠点)になれるのです。だからお寺でこそ終活ノートが作られるべきだ、と思います。
Q.『妙光寺の終活ノート』は、どんな特徴があるのですか?
(薄井)今回作った『終活ノート』は、昨年8月の「送り盆」で行ったみんなでつくろう終活ノート≠ノ参加していただいた方から出た意見を基にして作りました。ですから皆さんが知りたいことの答えは、だいたいここにあります。妙光寺の壇信徒や安穏会員が、安心して死んでいくための教科書といっていいでしょう。
Q.この『終活ノート』は、どんな風に使ったらいいでしょうか?
(薄井)「全部読まないこと」「全部書こうとしないこと」が大切です。『妙光寺の終活ノート』は、旅行のガイドブックのようなものです。ガイドブックは、必要なところを読みますよね。人生を終える旅のために、思いついた時に読み、気が向いた時に書いてもらいたいと願っています。
 そしてこのノートをお寺からいただいたということを、ご家族で話題にしてほしいのです。特に離れて暮らす子どもには、電話した時やお盆お正月に集まった時に話題にしてください。『終活ノート』をきっかけに、色々と話をしていただき、家族のコミュニケーションを深めて、お互いの考え方を少しずつ理解しあっていけたらいいですね。

私自身も家族と話し合って、いい旅をしたいと思います。ありがとうございました。 

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