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我(わ)がこの土(つち)は安穏(あんのん)にして 天人常(てんにんつね)に充満(じゅうまん)せり (『如来寿量品第十六』)

2014年3月号

小川英爾

四季の境内

春の訪れとともに、次々と咲く花々で境内が華やぎます。墓地のカタクリ、雪割草はじめ数多の山野草から始まり、梅、幾種類もの桜、コブシ、カイドウ等々と続きます。また角田山からの雪解け水が音を立てて沢を流れ、水面が春の光にキラキラ輝く様子も心を浮き立たせます。水がまだ冷たくて動きの鈍い鯉を、大きなサギが池のふちでジッと狙っています。鯉を食べる迷惑な鳥ですが、鳥も生きるための自然な行動です。

やがて新緑の季節を迎えますが、みずみずしくて柔らかい葉はほんの数日で、すぐに若葉に変わります。そしてあふれる緑の夏から紅葉と落ち葉の秋へと移り、また冬の静けさが戻って来るのです。

境内は移りゆく四季を通じて、訪れる人たちにとって、日常の喧騒と時には悲しみを癒す安らぎの場です。漂う香のかおりと本堂から聞こえてくるお経の声、澄んだ鐘の音、力強い太鼓の響き。自然だけでなく、仏様の世界が、そこにあるからです。

仏様の住む世界

その仏様の世界を表したのが表題の一文です。「私(仏)の住む世界は安らかで穏やかにして、神々と人間が充ち満ちている。」という意味です。さらに「そこで神々も人も色々に遊び楽しむことができ、広い林の中にはきれいな建物が立ち並び、宝物の山や、樹木は咲き乱れる花や果実で彩られている。天空では神々が楽器を奏で、私や悟りを求めて修行する者たちに曼荼羅の花びら散らせ、甘い雨を降らせている。」と続きます。

これが一般に言う極楽の世界で、仏様の住まわれる浄らかな土地、浄土です。安穏廟≠フ名はこのお経文に依るもので、同時に境内が少しでも浄土を身近に想像できる場であって欲しいと考えました。

この世に浄土を

仮に境内が仏様の世界であっても、一歩外に出ればそこは様々な悩みや欲望、苦しみに満ちた現実世界です。そんな私たちに向けて、お釈迦様は「あなた達はこの世界が悩み苦しみの炎に焼かれ、沢山の心配事や恐怖で満ち溢れていると思い込んでいる。私は、はるか昔から今も未来までも、心安らかな浄土をいつも用意している。疑いの心を捨て、正しい信仰心を持ち、欲望や怠慢、不幸な道から離れた修行の世界に目覚めなさい」と説かれたのです。

以前ある方からこんな感想文を戴きました。「宗教とは無縁と思っていた私が、安穏廟と出会ってから、その考えが少し変わってきたような気がする。墓は死後のものと思っていたが、自然に恵まれた静かな環境の下に、近代的な墳墓を幾度となく訪れ、そして本堂に礼拝することで、私は人生への達成感、安心感、自己の証を肌で感じることができるのである。これも妙光寺(宗教)とのご縁の賜物と感謝している。」

仏様の安らぎの世界は奥が深いのですが、決して死後のことでも、自分に無縁な話でもないのです。

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