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開創七百年記念インタビュー
お寺と人々の新しい関係を、妙光寺にみつけた
―夏の「送り盆」に集うお上人に聞く―

2013年9月号

新倉理恵子


右から菊池上人、松脇上人、伊藤上人

8月は、いつにも増して妙光寺は活気に溢れます。「万灯のあかり〜妙光寺の送り盆〜」(フェスティバル安穏)もその一つです。今年の「送り盆」は24回目。来年には四半世紀を迎えるこの行事には、毎年500人ほどの参加者が訪れます。

大勢の僧侶による法要も行われます。日本中からやって来たお上人さんたちが、妙光寺の「送り盆」を支えているのです。今年の「送り盆」に参加してくださった3人のお上人に、妙光寺への思いを語っていただきました。

菊池泰啓さん(51歳・大分市妙瑞寺住職)
平成10年「大分安穏廟」を境内に開設。葬送を考える市民活動に積極的に取り組んでいる。
松脇行眞さん(50歳・鎌倉市圓久寺住職)
妙光寺で奥様と出会い、小川住職夫妻の仲人で結婚した。現在は、住職の長女良恵さんの師僧でもある。
伊藤悠温さん(28歳・名古屋市本覚寺僧侶 大学院博士課程在学中)
修士論文の研究テーマに妙光寺を取り上げた。論文タイトルは『出会いの場としての仏教寺院』
Q.皆さんが妙光寺に来たきっかけを教えてください。
(伊藤)大学で、これからの寺の新しい取り組みやあり方を研究テーマにしたいと考えていた時、雑誌の特集記事の中に妙光寺をみつけました。新しいことに取り組んでいるお寺は、最近になって取り組みを始めたところが多いのです。妙光寺はその当時で20年も前から取り組んでいると知って、驚きました。 (松脇)22年位前、私は日蓮宗現代宗務研究所の研究員をしていまして、そこで小川住職とご一緒しました。まだ安穏廟も始まったばかりで、マスコミにも取り上げられていない頃です。宗派を問わない永代供養墓は、全国初の試みでした。どうも普通の寺と違う事をやっているらしい、ということで夏のフェスティバルに来てみたわけです。来てみると、こんな田舎のお寺なのに活気がある。首都圏からも人がたくさん来る。なぜだろうというので、妙光寺に通うことになりました。 (菊池)私は松脇さんとは大学の同期で、学生道場(日蓮宗の学生寮)でも一緒に暮らした仲です。私自身はお寺の息子ですが、大学で学問として仏教を学んでみると、故郷の寺で接している仏教とは違いもありました。生きた人との関わりの中に本当の仏教があるのではないかと考えて、悩んでいたのです。    そんな時に、松脇さんから新潟におもしろい寺があると誘われて、とにかく住職に会ってみたいと思いました。まだ20代後半でしたから、2人で大型バイクで妙光寺に通いました。私は大分から、松脇さんは東京から出て、大阪でおちあって一泊して、新潟に翌日到着しました。若かったし一番安い移動手段だったし、それで小川住職からは「坊走族」なんて言われて、楽しい思い出です。
Q.実際に妙光寺に来てみた印象は、いかがでしたか?
(松脇)フェスティバルの法要が、普通のお寺の法要とは雰囲気が違うことに驚きました。普通のお寺の檀家さん達は、いわば習慣や義務として、寺の行事に来ています。でもここでは、文字どおり皆が参加して法要が行われていました。 (菊池)小川住職のキャラクターが、人を惹きつけているということはもちろんあります。でも、普通のお寺は住職の許容範囲の人しか受け入れない場合が多いのです。ところがここでは、多様な人たちがのびのびと動いて、自由に参画していることに感心しました。 (伊藤)私は5年前から夏の送り盆に参加していますが、本当に風通しのいいお寺だなぁと思いました。本堂のつくりも斬新で、物理的にも風通しがいい。でも何より、人と人の関係が自由なんですね。生家の寺で知っていた人間関係は、寺族と檀家さんの関係でした。でもここでは、僧侶であり、参加者であり、檀信徒の方もいれば安穏会員さんも、単なるスタッフもいる。こういう関係もあるのか、と思いました。
Q.この二十余年の妙光寺での体験を振り返って、いかがですか?
(菊池)初期のフェティバルでは、有名な講師を招いて講演を聴き、そのあとで講師を交えて参加者が話し合う「座談会」がよく行われました。そこでは、従来のお寺に対する批判や不満も率直に出されました。私たちも僧侶だからこれを言ったらまずいと思うこともなく、対等の立場で意見交換をしました。   その対話の中で、法要の内容も考えなければいけないと思うようになって、現代語の祈りも行うようになりました。法要の儀礼も、工夫してきました。同様の試みをしている人は他にもいますが、参加者との話し合いの中で必要を感じた僧侶が創りあげたという点が、妙光寺の特徴です。檀家以外の人達にも法要の儀礼を理解してもらうために、従来の法要の形を変えていく。でもそれは、世の中に対する迎合(へつらい)かもしれない。本来の仏教はどうあるべきか、安穏会員の位置づけはどうすべきか、小川住職によく意見を求められました。
Q.安穏廟では、他宗派で葬儀をした人や、信仰を持たない人も受け入れていますね。
(菊池)宗派を問わずに受け入れて、何もお寺の姿勢を示さなければ、ただの「墓の販売」になってしまいます。壇信徒になることを強要はしないけれど、お寺のメッセージに耳を傾けてもらうことは大切です。 (松脇)日蓮聖人が好きで安穏廟を求めるという人は、少ないと思います。まずは「自分や家族の墓をどうしようか」と悩んで妙光寺においでになる。そして小川住職への信頼が、安穏廟への信頼につながる。会員から壇信徒になる方もいる。考えてみれば非常に順当なルートなのですが、普通のお寺とは全然違うのです。妙光寺では、実質的に動いている人が寺を支えています。その影には、小川住職の大きな努力があります。
Q.確かに小川住職は、一人ひとりの壇信徒さんや会員さんを大切にしながら、新しいことに取り組んでおられます。よそのお寺が妙光寺のようにならないのは、なぜですか?
(松脇)伝統的なやり方だけで、まだやっていけると思うからですよ。でも、歌舞伎や落語と同じように、寺も現代にあわせて少しずつ変わっていかなければならないんです。 (伊藤)でも新しいことをやっていくのは、大変です。私の実家の寺でも、兄が若い人にお寺に来てもらう活動をしていますが、父が元気で日常のお寺の仕事をしているから、兄は新しいことに取り組めるのです。小川住職が、時間的に物理的にどうやっているのか、うかがってみたいです。 (菊池)いいお坊さんというのは、いろいろな状況の中で生まれると思います。確かに小川住職は先見性があって、世の中を分析する力もある。でもそれは、妙光寺を何とか運営していきたいというところから始まったんです。切実なきっかけから安穏廟に取り組み、悩みながら今に至った。妙光寺は本当にすごいけれど、すごいと私たちが言っているだけではおもしろくない。妙光寺に来ると、小川住職の取り組みを一つのモデルにして、お坊さんとしての人生プランの設計をしようという気持ちになるんです。ここに来るといつも、いかにお坊さんらしく自分を表現するかを考えさせられます。

妙光寺は「僧侶の生き方」を考えさせられる場所・・・いいお話を、どうもありがとうございました。

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