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HOME >> 寺報「妙の光」から >> バックナンバー >> 2003.12〜2013.12 >> 「年末年始よもやま話」

年末年始よもやま話

2011年12月号

小川英爾

今年も残すところ僅かとなって、ああ、また一つ年を取るのかと思われる方もおいでと思います。以前は正月に年を取る習慣でしたが、最近は誕生日に年を取る感覚の方が強くなりました。そのために満年齢の方が主流で、数え年は通用しにくくなっています。個人的なことで恐縮ですが、私は来年還暦の年を迎えるため、いつもと違うやや寂しい思いで新年を迎えそうです。

そもそも正月とは単に年が改まるということだけでない、様々な意味があります。これから迎える年末年始に関わる行事を改めて考えて見ませんか。

門松
実はお盆と正月は大きくは同じ意味があります。お盆は故人の精霊を迎える仏教の行事ですが、正月も年神さまといって遠いご先祖様の霊をお迎えする仏教と神道が合わさった行事です。 お盆では精霊棚を作ってご先祖様をお迎えする、そのご先祖様や故人の精霊がより所にして来るのが位牌ですが、正月は門松をより所にやって来るというのです。
すす掃き
ご先祖様が家に戻って来られるわけですから家をきれいに清めてお迎えしなければなりません。その準備を始めるのが12月8日のすす掃きです。今は囲炉裏もなく家にすすがたまることもありませんが、大掃除は年神様と呼ばれるご先祖様をお迎えする準備というわけです。
来年のお札
一番大変なのが台所の掃除ですが、往時台所は火を使う神聖な場所として、火の神とされる『三宝荒神』を祀るお札を貼りました。大掃除をしてきれいさっぱりしたところに、新しくお札を貼り替えて新年を迎える準備をします。 日蓮宗では『普賢三宝荒神』を竃(かまど)の神として祀るので、妙光寺ではそのお札と、さらに家内のお守り札、そして門口からの魔の侵入を防ぎ、妙光寺の檀徒であることを表す「門札」を一軒ごとに読経しながら12月にお配りしています。
餅つき
餅は特別な食べ物として正月に限らず、節句や上棟式などお祝いの席に出されます。なかでも鏡餅は正月の年神様の召し上がりものとしてお供えされ、福が宿ることを祈りました。 各家で朝からもち米を蒸かす湯気がたち、庭先でペッタンペッタンと杵を振る光景は近年見られなくなってしまいました。妙光寺でも十数年前までは餅つきをしていて、臼と杵の一式があります。妻のなぎさは伯母さん宅が製麺と餅屋だったので毎年アルバイトに頼まれ、餅を丸める腕は確かです。なのでいつか餅つきを復活したいとたくらんでいます。 29日は苦餅に、26日はろくでもないことが起きると縁起をかついで、この日についたり買ったりはしない習慣がありました。
お歳暮
正月には本家と呼ばれる家に分家が集まり、一族のご先祖様と一緒に祝い食事をともにしました。これでご先祖様も交えた「同じ釜の飯を食う」仲間の絆を確認したのです。皆で食べるその食材を、暮れにそれぞれ分家から持ち寄ったのがお歳暮の本来の意味だそうです。 近頃は”同じ釜の飯”どころか家族でも別々の“個食”だとか、職場の同僚で食事をする機会もなくなっているとか聞きました。
除夜の鐘
108の煩悩(精神を悩ます迷いの心)を打ち消す除夜の鐘ですが、108の根拠は曖昧です。色々な説がありますが要は沢山ということのようです。妙光寺の鐘は第二次大戦時に没収された後、昭和51年に浄財で再鋳しました。その年から皆さんの手で順に撞いてもらっていますが、34年間皆勤のご夫婦もいます。 煩悩を払い新年を迎えるという意味では、107つを年内に撞いて108つ目を新年にというのが正式のようです。ただ多くは妙光寺同様に11時半頃から始まって、撞いている最中に新年を迎える寺が大半のようですね。また鐘の数を数える方法も寺によって様々ですが、さて妙光寺では・・・。
正月はいつから
日付が変わって元旦の朝から正月と誰しもが思います。ある本に「江戸時代は一日の始まりは3つあって、天の始まりは午前0時。地の始まりは夕暮れ。人の一日始まりは夜明けから。世界の多くの民族宗教では一日の始まりを夕暮れにおいていて、日本でも同様なので12月31日の夕暮れとともに正月が始まる」とありました。ですから昔は12月31日の夕ご飯が正月のご馳走、正餐なのだそうです。クリスマスもイブの方が賑やかなのも同じことのようです。 私が子供の頃からも31日の夜がご馳走で、一番は鮭の塩引きでした。これを食べないと新しい年が迎えられないと父に言われた思い出があります。新潟では同様なご家庭も多いことと思います。 以前訪れた韓国で、末期がんの患者さんたちを看取る尼寺で聞いた話です。「明日という日が来ないかもしれない患者さんにとって、夜眠りにつくときが一番不安です。安らかな気持ちで眠れると翌朝爽やかに目覚めることができ、一日が健やかな気持ちですごせます。私たちも同様に一日というのは夜の過ごし方で決まるので、一日は前の晩から始まるのです。」年のせいか近頃不眠症気味な私にも、夜の時間の過ごし方の大切さが改めて実感されます。
元旦
元日は1年の始まりの日。元旦の旦は地平線から昇る朝日を表すことから、元日の朝のことです。因みに晦日は毎月の月末で、大晦日が12月31日となります。
雑煮
12月31日の正月のご馳走をご先祖様と一緒にいただき、そこにお供えした品を元旦におろしてごった煮にしたものが、文字通り“雑煮”です。雑煮と言えば“餅”ですが、昔は餅より里芋のほうが中心だったようです。妙光寺では「秋奉加」といって、農家の方々から秋に新米をお供えいただきます。このとき里芋をお供えされるお宅が何軒かあり、その名残と思われます。
おせち料理
節句に出すお祝いの料理を「お節料理」と呼んだのが、現在は正月だけのものになりました。これを大晦日に食べる風習が残る地域もあるそうで、これは先に書いた12月31日の夜から正月という考えからです。 保存の効く品が主体なのは、三ガ日主婦を休ませる意味合いが濃いようです。古くは正月から火を使うと台所の神様『三宝荒神』が怒るから。また重箱に詰めるのは、めでたさを重ねるという縁起をかついだものと、民俗学では教えます。
年始
「本来は氏神社や本家に集まり、そこで年ごもりをして新しい年を迎える儀式であったといわれるが、現在はもっぱら年頭の回礼を意味している」と辞典にあります。妙光寺では元旦と2日、本堂へのお参りの方をお迎えし、年頭の挨拶を交わしています。不幸のあったお宅は神社参拝や年始回りを避けるのが一般的ですが、仏教では死を不浄なこととはしていないのでお寺へはいつも通りに参拝します。「おめでとうございます」とは言いませんが。
お年玉
子供たちが楽しみにするお年玉ですが、Wお年霊(おとしだま)Wとも書き、正月の年神様のパワーを餅に込めて本家の主人が分家に配るのが本来でした。それが目上の者から目下の者に与える餅になり、やがて金銭になったそうです。
服喪と忌中の期間
服喪とは近親者が亡くなった場合、一定の期間、死を悼(いた)み、身を慎むことをいいます。この間、結婚式や賀寿などの祝いの席への参列、神社への参拝、年賀の挨拶、新年の飾りなどを控える習慣があります。始まりは儒教の教えのようです。 服喪の期間は明治7年に当時の政府が法律で決めたもので、現在は廃止されて厳密な決まりはありません。参考までに紹介すると「両親、夫―13ヶ月。父方の祖父母、夫の父母―150日、妻、実子、兄弟姉妹、叔父、叔母、母方の祖父母―90日。妻の父母―無し』」(養父母等は省略)。明治の法律らしく男性優位になっています。というわけですから、自分なりの別れの期間を決めて対応すればいいということです。 因みに仏教では、故人の命日から数えて最初の7日目が初七日忌で、7回目が7×7で四十九日忌となり、この期間のことを″忌中″いいます。この後に死者が旅立つから、それまで遺族は冥福を祈り追善の供養を欠かさないと教えます。同時に遺族にとっては心の整理の第一段階の期間ともいえるので、心して過ごしていただきたいものです。もちろんこの期間であってもお寺参りはいけないどころか、大いにお勧めするところです。
厄払い
厄払いの根拠は定かではありません。しかし一般に言われる男性の25、42、61歳、女性の19、33、61歳はそれぞれに、青春期、中高年への過渡期で社会的にも家庭内でも責任が重くなり、精神的にも肉体的にも要注意の年齢といわれます。そこで゛厄年″ならぬ役割が重くなる゛役年"とも言われます。 このときに仏様のご加護を祈り自覚を新たにして、事故や怪我、健康管理の面でも細心の注意を払い1年を過ごすことは意味があるといえましょう。 厄年の年齢は゛数え年゛であることを忘れないでください。また地域や宗教で年齢が異なる場合が多々あります。妙光寺では別紙で年齢早見表とあわせて、合同厄払い祈願のご案内を同封します。
まとめ
正月は昔からの習慣が沢山残っていますが、一方でその変化も激しくて混乱しておられる方も多く見られます。その意味を知ったうえで、それぞれのご家庭の事情にあわせた年末年始を過ごしていただければいいかと思います。 大震災、それにともなう原発事故もあってまだまだ苦しいお立場の方も数多くおいでです。どうぞ辛いことの重なった方も、まあまあの年だった方も、新しい年がひとりひとりの安泰と世界の平和につながる一年であることをお祈りして迎えたいと思います。

(参考資料・ひろさちや著『仏教法話365日大辞典』中村元監修『新・仏教語辞典』ウェブ上各種HP)

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