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「万灯のあかり」に寄せて

2010年7月号

小川英爾

最近、人々が寺に関心を持たず、親族の葬式も省略、墓は要らないという声が大きくなり、これを仏教界では寺離れ、葬式離れ、墓離れ″の「三離れ現象」とか言って問題視しています。経済不況、寺の怠慢、人々の意識変化そのあたりが背景なのでしょうか。

確かに妙光寺でも、古くから続く行事の参加者は減っています。これまでの方たちが高齢化したり亡くなったりして、次の世代に受け継がれていないのです。でも、新しく始めた研修会、夏のフェスティバル安穏、暮れの除夜の鐘、団体旅行等々には大勢の参加があります。世代交代ができないのは、昔からの行事が時代に合わなくなって、寺の吸引力が弱くなったせいでしょうか。でも、妙光寺の雰囲気が大好きと言う方はとても多くいられます。そこで、もっと大勢の方に気軽に足を運んでいただくにはどうしたらいいか、ずっと考えてきました。

その一つが安穏廟をきっかけにした「フェスティバル安穏」です。安穏廟関係者だけでなく、従来の檀信徒も、村の近所の方たちも一緒になって、生老病死という誰もが避けて通れない大問題を、寺で深刻にならずに考えようという趣旨でした。当初はねらい通り、幅広く色々な方たちが集まり、今も現役で98歳の映画監督、新藤兼人さんをゲストに老いをテーマに語り合ったこともあります。このとき新藤監督から「この辺りにはすごい人生を生きて来た人たちがたくさんおられますね。いい話がいっぱい聞けた」と仰っていただきました。

しかしこれも20年が過ぎて、いつしか安穏廟の人たちの祭りと言われるようになり、檀信徒は特定の方たちだけの参加になっています。昨年初めて参加された50代の檀徒夫婦が「楽しかったあ。私たちも来ていいんだね」と言われたことで、20年を機にもう一度原点に戻したいと考えたのです。

そして昨年秋から、スタッフとして裏方を務めてきた安穏会員、総代を始めとする檀徒役員が一緒になって10回余りの会議を重ねてきました。そこで、妙光寺を縁にした人たちが等しく亡き人を偲び、今を生きる様々な人の繋がりを確認し、共に生きる力を得る場にしたい。そのためにあかり″をメインにして、感激を共感できる形を作ろう、となりました。

韓国の花まつりで

韓国では今年は5月21日が、旧暦でお釈迦様の誕生日を祝う「花まつり」の祝日でした。その日は信徒が個々のお寺にお参りしますが、首都のソウルでは各宗派が一体になって、前の土日に記念行事を盛大に繰り広げると聞き、参加してきました。

2日間にわたり市内各所で賑やかで楽しい催しが沢山あります。市中心部に近い曹渓寺の前では広い車道をふさぎ、100以上のテントが整然と並んで各寺や、外国の仏教が出店風に座禅の紹介、太鼓の叩き方、軽快な音楽に合わせたお経、お菓子、冷麺のふるまいまで。交差点では特設ステージで民族芸能から太鼓、タップダンス等々、若い人たちが延々と夜まで演じ、路上は人が一杯でした。


韓国の花まつり 路上での踊り

韓国の花まつり ネパールの仏教徒

韓国の花まつり 華の形の灯籠作り

日曜日の午後4時からは仏教系の私立東国大学のグラウンドで、中もスタンドも、寺ごとにカラフルな民族衣装や仮装した人で埋め尽くされ、壇上での歌あり踊りありの記念行事。スタンドに座る私たちも時々立ち上がってその場で一緒に体を動かす、とにかく賑やかなお祭りでした。後半は一転して、厳かな合唱や読経の中で、海外からも含めた壇上の僧侶多数が順次お釈迦様に甘茶をかけます。

スタンド一杯の人
韓国の花まつり スタンド一杯の人

陽も傾いた午後6時に法要が終了、ここからがメインの提灯行列です。アナウンスに従い順番に会場を出るのですが、全て出るまで1時間以上は要したでしょう。ここから6キロ先の曹渓寺前まで、手に手に提灯を掲げて上下6車線の車道を一杯になっての行列です。寺ごとに2〜300人の集団が、電気で華やかに満艦飾の山車と、音楽隊や合唱隊が大音響とも言えるにぎやかさで先導します。なかには衣姿で軽やかに踊るお坊さんもいて、驚きました。後で聞いたら5万人以上はいたとか。


韓国の花まつり 電飾で飾られた山車

韓国の花まつり 提灯行列

このときの提灯は棒の先に2個ついて、10万本のロウソクの灯による全行程約3時間のパレードです。ディズニーランドの光のパレードも凌ぐかという山車と人の列を、沿道一杯の人が拍手で迎えてくれます。すごい!の一語に尽きる、韓国仏教徒パワーでした。(来年のソウルの花まつりに、お寺の参拝を含めて計画中です。ご一緒しませんか。)

昨年春は台湾の寺に泊めていただきました。偶然その日が春の万灯会の最終日で、夜の本堂前広場に集まった沢山の信者と灯した無数のロウソクのあかりの見事さを思い出し、あかりに寄せる人々の思いの強さを痛感しました。

仏教とあかり

闇夜を照らす一筋のあかりは、私たちに安心と希望を与えます。同様に、お釈迦様の教え(仏法といいます)は、暗く落ち込みがちな私たちの心に安らぎと希望を与えるとして、あかりに例えられてきました。その意味で、仏教とあかりはとても縁が深いものです。

日本仏教の母とも言われる比叡山延暦寺には「不滅の法灯」と言って、1200年間消えることなく守り続けられてきた灯明があり、永遠に伝えられるお釈迦様の教えを象徴しています。同じ意味で、お寺の住職が交代するのを法灯を継承するという言い方をし、「法灯継承式」とも言います。

お釈迦様が亡くなられる直前に遺された遺言とも言える最後の説法が、「自灯明、法灯明」としてよく知られています。お釈迦様の滅後、あなた方は自分自身を灯明とし、法(教え)を灯明にして修行に励みなさい。それは自分と他人は違う人間だから、他人の道を気にせず、自分自身にふさわしい道を歩みなさい。そのときに支えとすべきは、これまでお釈迦様が説かれた教えですよ、と言う意味になります。

私たちが日常お参りするときのロウソクも同じく、闇夜を明るく照らすお釈迦様の教えを象徴しています。灯明ですから昔は油に浸した芯を灯しましたし、現代なら電球でも構いません。またお葬式では紙で作った物ですが、松明を住職が振ります。これも冥土(あの世)への道は暗くてひとり寂しいから、迷わないよう明るく照らす道筋を、お釈迦様の教えを頼りに進みなさいとの意味があります。

「貧者の一灯」と言う言葉はご存じかと思います。お釈迦様が在世中、ある村に説法に来られることになりました。村中の人はこぞって油を買い求め、火を灯してその場にお供えしました。ある貧しい老婆は自分も灯明をお供えしたいと思ったのですが、お金がありません。そこで自分の髪の毛を売ってお金を工面し、一つだけ灯すことができました。お釈迦様の説法の途中一陣の風が吹き、その場をあかあかと照らしていた燈明が全て消えてしまったのですが、貧しい老婆の一灯だけが消えなかった。たとえ貧しい者のわずかな一灯でも、その心が尊いことを称えるお話です。

日蓮聖人のご命日は10月13日です。各地の日蓮宗寺院では毎年、その遺徳を偲び「御会式」と呼ぶ法要を営みますが、その前夜に「万灯」という桜の花の造花にあかりを灯した大きな飾りを持ってお寺にお参りします。なかでも東京の池上本門寺は、現在もこの夜だけで10万人が集まります。賑やかな鉦、笛、太鼓のリズムのなかで、江戸の火消しの纏いを振り、華やかな万灯が次々と繰り出す様子は江戸時代から「本門寺のお会式」としてつとに有名です。ちなみに桜は日蓮聖人が亡くなられた折り、時ならず庭の桜が開花したとの逸話によります。

「お会会」の万灯
「お会式」の万灯


お盆のあかり

お盆のあかりと言えば、13日夜に精霊をお迎えするために玄関先で芋殻を焚く迎え火。そして16日夕方には送り火を焚きます。妙光寺の墓参りは8月1日ですが、地元角田浜の人たちは13日夕方です。お墓参りした後、浴衣姿の幼い子供が持つ提灯に火を灯してご先祖様を家まで導く、そんな光景も少子化や車社会でとても少なくなりました。迎え火、送り火もマンションや現代の住宅事情では難しく、風情ある風景が消えていきます。7月の東京のお盆で、下町の送り火を見た時はなぜか胸が熱くなり見入ってしまいました。

全国に知られた送り火は何と言っても京都の大文字焼きです。16日夜8時、大文字山の中腹に赤々と燃えあがるのは有名です。あまり知られていませんが、他に「左大文字」「鳥居形」「舟形」「妙法」の4つあり、「五山の送り火」と言います。妙法は南無妙法蓮華経のお題目のことで、この火を日蓮宗の涌泉寺の檀信徒が、境内で太鼓に合わせて日本最古と言われる盆踊りとともに守り伝えています。同じように各家庭ごとの送り火を、地域が共同で海辺や山上で行うことも各地に残るそうで、いずれも精霊の帰り道を明るく照らすという意味があります。

妙光寺の送り盆

そもそも火は仏教に限らず、世界中の宗教はじめあらゆる場面で人間に暖かさと安らぎを与えてきました。囲炉裏の火、暖炉の火、野外での焚き火の火を思い浮かべてみてください。同じ火を囲んだ人同士なぜか話が弾み、心通いあう気がするから不思議です。

このたび「杜の安穏−池の上」を新たに開設しましたが、これが他の墓地とやや離れた位置にあります。そこで、従来の墓地も含めてそれぞれのお墓が一体感を持って繋がり、今を生きる方々もやがて同じ地に眠るご縁を確認する。そして今は亡き人と遺された私たち、さらに同じ世界を共に生きる全ての人たちとの絆をあかりの帯で結びあうことを祈ります。

人が共に養うと書いて供養の漢字ができていると言われます。人と人とが支えあい養いあうことが供養です。昨今は誰にも知られずに亡くなる孤立死が年間3万人を超し、「無縁社会」と言う言葉も聞かれる時代です。一方で、大名や地主など特定の一族だけの菩提を弔うことを目的にした閉鎖的な寺も、歴史的にありました。しかし現代の寺は、もっと幅広くより多くの人との繋がりを築くことが求められています。人と人が紡ぎあう社会の一翼を寺が担い、その寺を人々が支える、その象徴とも言える『万灯のあかり―妙光寺の送り盆』にしたいと願っています。

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