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尼僧物語

2004年11月号

小川英爾

  十年余り前のある日のこと、境内で掃除をしていた私は声を掛けられた。幼い子供の手を引いた、三十過ぎくらいの女性だ。「人に勧められてこちらのお寺を訪ねたんですが、話を聞いていただけませんか」という。目が輝いて明るい感じの印象があり、ときどきある深刻な悩みを抱えて相談に来た人、という感じではなかった。中に案内してお茶を勧めながら話を聞いた。
  「夫の転勤で新潟に来たんですが、以前住んでいた千葉でお寺が近かったからよくお経を聞きに行きました。こちらに来てからその機会がなくて寂しいものですから、差し支えなければ毎朝伺ってもよろしいでしょうか」そんな話だった。しかし聞けば女性の家からここまで車で三十分はかかる。それに当時私がことのほか多忙で、朝のお勤めの時間も一定でなかったりさぼることもあったりして、来られても無駄足になることもままある。その事情を伝えて、女性の家から近い市内のお寺のI住職を紹介した。
  そこは小さな寺だが住職がなかなかの人物なのだ。檀家はなく、他の幾つかの大きな寺の檀家の月命日にお経を読んで歩くのを主な日課にしている。檀家を持たないぶん身軽だから、一日の予定が終われば夕方前から酒を飲むというのが月の大半をしめ、飲み屋の支払が多い分貯金もない。行動も風貌も破天荒なうえ大らかな人柄で、近頃の世間のチマチマした住職のイメージの逆を行くから、僧侶の世界に敵は多いが一般世間にはファンが多い。実は本当は気が小さくて人情家で世話好きな優しい性格の持ち主なのだ。私が卒業と同時に父亡き後の妙光寺に入り、右も左もわからないときから「あんたのお父さんには世話になった」と支えてくれ、夜の街にも誘ってもらっては楽しい酒を沢山ご馳走になった、恩ある先輩でもある。
  この寺にかの女性が訪ねて、毎朝のお勤めに参加することになった。I住職の夕方前から深夜まで酒を飲む生活は変らなかったが、朝五時の本堂でのお勤めはどんな二日酔いでも欠かすことがなくなった。I住職いわく「何が変ったって、これまで朝の遅かった女房が本堂に来てお勤めに参加するんだよね。若い女性が来るからって、なんか勘違いして心配してるみたい」と。心配したのは奥さんだけでなかった。市内の他の寺の住職たちが、噂話の格好の種にしたのだ。そんなことなどまったく気にしないI住職、他の寺に出かけるときに運転してもらい安心して酒を飲むなど、女性は高僧に仕える信者に見えなくもなかった。
  その後I住職はこの小さな寺を息子に任せ、自身は父親が引退した別の市の大きな寺の住職に就いた。その際奥さんが元の寺に残り、女性が大きな寺の裏方を勤めるようになった。その後間もなく得度して、本格的に尼僧を目指すことになったようだ。プライベートなことゆえ女性の家族について改めて尋ねることもはばかられたし、移られた寺が妙光寺から遠くなったため私とI住職とが杯を酌み交わす機会もなくなり、詳しい話はいまだに知らない。
  それが今年の春先、I住職が厳寒期百日間の荒行を終えて寺に戻る式が行われ、招かれて行った私はびっくりした。かの女性がきれいに剃髪して見事に袈裟衣をまとい、立派な尼僧になっていたのだ。始めは本人とは思えず、挨拶されるまで半信半疑だった。さらに多数の来賓僧侶、本堂一杯の檀家の人たちの前で法要の中心を勤めたのだが、それが澄んだ実にいい声で読経をリードしたからさらに驚いた。しかし表には出さないものの、来賓僧侶たちの反応は決してよくはなかった。男性でも難しい声明師という資格を得たというのにだ。いつか機会をみて妙光寺に呼んで上げたいと思いつつ戻ってきた。
  そしてこの十月三日、妙光寺に伝わる築二百年近いといわれる三重塔が破損したのを、篤信者の寄進で解体修理が完成し、お祝いの法要を営んだ。そこにI住職と尼僧を招いた。お願いの電話に「彼女、檀家には評判よくて、法事でも住職は来なくていいから尼さんだけでいいなんて言われることもあるんだ。でも他のお寺から呼んでもらえなくて、喜ぶよ。お布施なしでいいからな」と、I住職。予想通り、ひときわ響きのいい妙光寺の本堂に、澄んだ声が歌でいうとソロで尼僧の声明が流れた。「こういう形で妙光寺さんに伺えて嬉しく、とっても緊張しました」と、法要後紅潮した顔で話してくれた。やはり法要に出た私の後輩で鎌倉のM住職は「来年のうちの法要にもお呼びしたいですね。慣れきった近所の住職たちとの法要に刺激になります」と。また後日、出席した妙光寺の檀家のおばさんからは「あの尼さん声もいいし、すごく素敵だった。どうして法要のときだけしか出てきてくれなかったの。私握手したかったのに」と言われた。
  さらに妻からは「あんな素敵な尼僧さんになれるのにどうして、あなたが育てなくてIご住職に回したの。人を見る目がないわね」と言われる始末。「あの時点ではどうしようもなかったんだ。でも今またひとり、尼さんになりたいという人がいるよ」と、弁解と同時に嘘ではない話でその場を取り繕うとした私に「そう、男の坊さんはもう駄目。尼さんを育てて、妙光寺も尼寺にしましょう」と、妻の勢いは止まらなかった。
  確かに安穏廟を求めた方のお孫さんで東京に暮らす女性から、今まだ小学生の子供に手がかからなくなったらお寺に行っていいですか、と言われている。新潟に生まれ育ち幼い頃から祖父母を介してお経が好きで、哲学を専攻した大学を出産で中退。現在一人で働きながら子供二人を育てて、さらに大学に復学して先ごろ卒業したと言う頑張りやさんだ。本人を知るやはり安穏廟の別の会員さんが「彼女は確かミス新潟になったこともあるんじゃなかったかな」などと・・・。
  すっかり世襲化してしまったお寺の世界に、こうした元気のいい若者、しかも女性が現れることはとても嬉しい。とかく世間から批判されることの多い昨今であるが、こんな風に宗教をとらえてくれる人もいるのはまだまだ捨てたものではないとも思う。妙光寺の次期住職候補は一般公募すると公言して、具体化の準備も始めている。それを聞いた檀家の高齢者は一様に本気にしないが、三十台後半の檀家は「それは面白い。僕が二十台だったら応募します。きっとたくさん応募がありますよ」と言ってくれた。我が家の大学二年生の長女にまで「私は遠慮するけど、とっても面白いし、今の若者ならきっと一杯くるよ」と言われた。もちろん公募するからには性別、国籍で制限するするつもりはない。
  ただ心配は男性の僧侶ならまだしも、I住職のように飄々としながら立派な尼僧さんを育てる力量が私自身にあるのか、それが問題なのだ。


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