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ごぜんさま?

2004年3月号

小川英爾

 千葉県での葬式に出向いたとき、お経が終わった通夜振る舞いの席で親戚の方から質問された。「私のお寺は曹洞宗なのでご住職を方丈様とお呼びしますが、日蓮宗ではなんとお呼びしたらいいのでしょう」。確かによく聞かれる質問だ。「日蓮宗ではお寺の格式によって呼び方が変ります。私ども妙光寺では昔から御前様と言われていますので、檀家の皆さんもそう呼んでくださいます。ほら、映画の『フーテンの寅さん』に出てくる御前様、あれと同じです。柴又の題経寺というやはり日蓮宗のお寺ですが、映画の御前様は味があって格好いいですけどね」。
 いつもはこれで話は終わるのだが今回は違った。その方が意外なことをおっしゃる。「それなら私と一緒だ」。そこで私が「いえ、朝帰りの午前様とは字が違いますよ」と笑いながら言うと、「ええそうですよ、御前と書くんでしょ。実はそれが私の苗字なんですよ。これでミサキと読みます。珍しいでしょ」。同席していた皆さんでヘェーとなった。「私は和歌山の出身ですが元々は京都の神官から落ちぶれた、そんな由来があるようです」と説明してくださった。
 人柄も明るい方で話すうちに親しくなり、その方の奥様共々ホテルに移動するタクシーの車内で「明日の朝の出発時間が早いけど大丈夫。ここには御前様が三人もいる、この三人が行かなきゃ葬式は始められないんだから」なんて、ミサキさんすっかり酒の勢いもあって御前様つながりに気分がよかったようだ。
 お寺の住職の呼び方は宗派によって違う。曹洞宗でいう方丈様とは、昔インドの維摩(ゆいま)という修行者の部屋が一丈四方(ぽぽ四畳半)の広さだった生言う故事由来する。ここから住職の部屋の広さが一丈四方になり、それが部屋を指す方丈になり、さらに住職の呼び方に変ったそうだ。浄土真宗では御院主様とか、御当院様と呼ぶ。御院主様は寺院の生そのもので、ご当院様は調べてみたがよくわからない。
 我が日蓮宗では僧侶を上人(しょうにん)と呼び、普通の寺の場合住職も檀家はお上人様と呼ぶ。それが格式のある寺の住職は御前様となり、さらにその上の本山の住職は貫主・首(かんじゅ、かんず)とか貫主・言様となる。   
 上人を辞書でひくと、智徳を備え、仏道の修行に励み、深大な慈悲心を備えている高僧。聖人。ここから僧侶に対する敬称として上人となったもので、日蓮宗、浄土宗、'時宗で使われるとある。しかし通常は聖人と上人とは別けて使い、聖人は日蓮聖人、法然聖人、一遍聖人のようにその宗派を開いた方だけをいう。その他が上人で、信仰上の指導者といった意味合いのが強い。そして御前様は神主や住職を敬って言う言葉として、これも辞典にあった。なるほど、ミサキさんのご先祖様が神官だったというのもうなずける。
 それぞれが面倒くさい。一般的には自分の寺の住職だけ知っていれば事足りる。ところが、お付き合い、のある全ての寺の呼び方を記憶してきちんと使い分けていたのが、妙光寺のある隣町のH葬儀社のお爺さんだった。高齢で今は退かれているが、現役のころは「前の御前様はこうしておいでででしたよ」などと、昔のことを知らない私にいろいろ教えてくれる、葬式のプロでもあった。後にも先にもこんな葬儀屋さんに会ったことがない。
 二十二歳で妙光寺の住職になった文字通り若僧の私に、御前様と呼んで接してくれたのは、檀家の皆さんもそうだが、こうした人にも教えられることが多かった。最近は行動範囲が広がっていろんな葬儀社の方に会うが、先生と呼ばれることが多く、そんなときはとても居心地が悪い。プロならせめて宗派ごとの呼び方を覚えるか、その場で聞いてもらえればと思うのは勝手な言い分だろうか。
 それにしても正直なところ、住職になって三十年近くになるがいまだに自分でも御前様と呼ばれてしっくりこない、皆さんに呼んでいただいて言うのもなんだが、やはり、寅さんに出てくる笠智衆さんのように歳を取っていたほうが相応しい感じがする。面白いのは、たしかあの笠さんはお寺の息子だと以前テレビで見たように記憶している。私も歳なりにもっとそれらしくなる、かもしれない・・・
 どこかで檀家の方から「御前さん」と呼ばれているお寺があった。ああこれも親しみがあっていいなと思ったことがある。親しみと言えば、私を「御前」と呼ぶ人が何人かいる。これこそ最高に親しみのこもった呼び方で、本人も酒を飲むと「頼りにしてるからな」よく言う。
 確かに創立以来691年の歴史を有し、私で五十三代目の住職となる格式のあった妙光寺ではある。しかし歴史は大切だが、あまり過去の栄光にこだわることなく、これからの寺を皆さんとともに作って行きたいといつも考えている。引き続き宣しくお願いします。

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