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信心 〜家族そろって〜

新潟市巻乙 石田定雄(66)文子(61)さん 長男・輝如てるゆき(29)さん 

2017年7月号

鎌田



長い妙光寺との縁
 石田家の歴史は古いが、途中で両養子が入るなどしてその系図ははっきりしない。義父の安平さんは生真面目な職人だった。勤務先を定年退職後は、囲炉裏に掛ける自在鍵じざいかぎを作り、お茶飲み場を兼ねた自宅工場に吊るして嬉しそうに眺めているような人だった。正月元旦の寺参りは親戚の内藤さんとともに、寝こむ年まで欠かさなかった。
 義母のキヨさんは明るい人柄で信仰熱心。地元巻地区のお経の会である講≠ノ毎月参加し寺の行事にも足しげく通った。
 2人の長男である定雄さんも、電気工事技師として真面目一方の仕事ぶりだった。また特殊な竹を山に求めて歩き、魚釣りの浮きを削り出しては人にあげるのが趣味だった。地区の妙光寺世話人の担当件数が多く「大変だから半分応援するよ」と自発的に申し出て、世話人補佐を引き受けてくださった。残念なことに、先ごろから体調を崩して、近所の方と交代されたが。

一家で子育て
 この一家に嫁いできたのが文子さんだ。岩室で3人姉妹の次女に生まれた。美容師として新潟市内で働いていた27歳の時、紹介された5歳年上の定雄さんとの出会いが縁だった。近くの工場に職場を替えて、長女巴寿美はすみさんと長男輝如さんが生まれ、義母のキヨさんに育児を頼んで働いた。昼休みに搾乳機を使って取り置いた母乳を、子供を背負ったキヨさんが文子さんの職場まで行って授乳した。小学校入学後は義父も加わり、一家で子育てをした。
 後には義父母の介護で苦労もしたが、2人の支えがあったから今があると感謝している。

長男・輝如さん
 輝如さんは工業高校から新潟大学に進み、建築を学んだ。卒業後は各地での「大工見習い」を経て工務店に就職。大工として朝から夜まで働き、1年半で現場監督を任せられるようになった。しかし過労から体調を崩し、自律神経失調症と診断されて自宅療養を余儀なくされた。
 この時、文子さんの発案で気分転換も兼ねて妙光寺の身延山団体参拝に参加した。文子さんは義母から、一生に一度はお参りに行くように言われていたことを思いだしたのだ。七面山にも二人で登詣した。「不慣れな山道の参拝は厳しかったが、あの時のすがすがしい気持ちは忘れられない」と輝如さんは語る。
 いま文子さんは義母の亡き後を引き継いで、毎月の講≠ノ欠かさず参加する。輝如さんは病気が回復して新潟市内の建築事務所に勤務。さらに今年2月難関と言われる1級建築士に合格した。4月からは専門学校の非常勤講師も勤め、将来は独立したいと考えている。

今年はお寺の当番
 今年4月29日、妙光寺の『ご判様』は巻地区が当番だった。入院中の定雄さんに代わり、輝如さんがお札所≠フ係を担当した。文子さんも親戚の内藤さんらと台所係となり「丸1日お寺で楽しくお手伝いができた」と喜んでいる。
 今は定雄さんの1日も早い回復と、東京に嫁いだ長女の巴寿美さんに孫が生まれることをお仏壇にお参りする毎日だ。

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