「お寺でごはん食べること」 |
2016年12月号 |
小川なぎさ |
聖者たちの食卓 あっという間に寒い季節となりました。お変わりありませんか?
夜が長くなったので、布団に入って少しの時間の読書が今の楽しみです。韓国ドラマはお気に入りが無くなってしまったので、しばしお休みです。
夏の終わりに、「聖者たちの食卓」というドキュメンタリー映画を見ました。インド北西部アムリトサルという町にある黄金寺院=Bシーク教徒にとっての聖地で、そのお寺では毎日10万人分の食事を作り人々に提供しているのです。途方もない数ですが、300人のボランティアが毎日お寺の台所で働いています。そして一度に5千人の人がご飯を食べる食堂があり、食材は寄付とお寺の畑から運ばれてくるものだそうです。
とてもシンプルに「共に生き、尊敬しあう」という根本理念を貫いて、すべての人は平等という教義を守るために500年の歴史を持つ台所なのだそうです。
妙光寺のお斎
妙光寺の700年の歴史の中で、行事のたびに供されるお斎はどの位続いているのでしょうか?わかりませんが、代々の台所頭で、私が知っているのは潟のばあちゃん、作善ばあちゃん、そして今は幸子さん!行事のたびに各地区から出向いて下さる当番の女性たち、2年前からは夏の男性だけの当番も出来ました。行事のたびに、ずっと食事が作られてきたのです。
お米は秋の奉加米、野菜は季節の地元の野菜が奉納され、足りない分はなるべく近くの直売所で購入。なんだか妙光寺も「聖者たちの食卓」に近いんじゃないか?などと思っているわけです。この映画を観て、お寺で作ったご飯をみんなで食べることの意味を改めて考えました。
以前読んだ本に、文化人類学者がこんなことを書いていました。「人が集まって車座になり、一つの食物を分け合う儀礼をもたない共同体は地球上に存在しない」あたりまえのことなのですね。
宗教や人類学の見地からも、みんなでご飯を作って、食べるということは、人として生きるための基本。一つ釜のめしを食う、とも言いますね。 来年も「神(仏)人共食」
今年もお世話になりました。来年も楽しくお寺参りをして、楽しくご飯を食べましょう!!とここまで書いたら、ご前さんがのぞきこみ、「文化人類学ではそのことを、神(仏)人共食と言うんだよ!」と言うので、「そうか、ますます大事なことだな。」と思って、いい言葉を聞いた感じがしました。これからも、お参り日には仏様と一緒に素朴なご飯食べましょうね。
寒さが厳しくなります。ご自愛下さい。それから、元旦のお年始参りには是非ご家族そろっておいでいただけたら幸いです。暖かいスープなど用意してみようと思っています。食べることばっかり(笑)
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