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誌上法話
合掌の形と心 〜皆お釈迦様に合掌し、敬意をいだいて、修行を完成する道をお聞きしようとしています。〜 『法華経・方便品第二』

2016年7月号

小川英爾


幼子に合掌される
 昨年7月のことです。関東のお盆で檀徒のお宅を訪ねる朝、駅の階段を上っているときでした。危なげな足取りで階段を下りてきた2歳か3歳くらいの男の子が、私の姿を見て可愛い掌を合わせて合掌しおじぎをしてくれたのです。驚いて私も合掌で返し「おはよう」と声を掛けました。隣にいた若いお母さんが「この子はお坊さんが大好きなんです」と話してくれました。
 日本では合掌はお参りするときと、食事の前後しか行いません。しかしインド・ネパール・タイなどでは、お互いの日常の挨拶で合掌し頭を下げます。これには「あなたを敬います。尊びます」という意味が込められています。

合掌の形
 仏教では合掌の形が12通りあると説きます。一番目の堅実けんじつ合掌≠ヘ掌をしっかり合わせる私たちが普段行う形です。二番目の虚心こしん合掌≠ヘ、掌の間に虚空を表わす隙間のある形です。前述の幼子もこの形です。7番目の帰命きみょう合掌≠ヘ指をずらして重ね、右手の指を少し先に伸ばす形です。滝に打たれる修行で、体に力が入る姿での合掌を想像してください。
 他の形の中には合掌とは思えないようなものもあります。12通りとは後世の理屈付けで、お釈迦様の時代は両掌を合わせる基本的な形だけだったと言われています。基本の形が一番美しくも見えます。

合掌の心
 『法華経』の中には「一心に合掌してお釈迦様のお顔を仰ぎ見る」と言った具合に、「合掌」という語がたくさん出て来ます。また常不軽菩薩じょうふぎょうぼさつ≠ニいう方が自分を非難する人を含め、あらゆる全ての人に合掌し敬いの態度を取った有名な話もあります。
 仏様をはじめとする自分が敬い崇敬する対象や、故人に合掌することはたやすいことです。でも生身の人間、とりわけ自分を攻撃してくる人、憎しみを感じる人に対しての合掌は、とても難しいはずです。常不軽菩薩は、人間は誰もが尊いものだとして誰彼無く合掌し礼拝することで、自らを磨き他人から拝まれる存在となりました。
 拝まれることで相手も自分も変わります。それが合掌の心です。冒頭の幼子の合掌は、本当に素直な気持ちが直接伝わってきて、とてもうれしい一日が過ごせました。
 

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