妙光寺は、亡き人を偲ぶ温かい場所 ―送り盆<Xタッフに聞く―
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2015年12月号 |
新倉理恵子 |
夏の妙光寺の一大イベント、「万灯のあかり〜妙光寺の送り盆〜」は、8月22日(土)に行われました。26回目の今年、境内は五百名以上の参加者でにぎわいました。当日の運営は、約百名のボランティアに支えられています。毎月の会議には、20名余りの地元スタッフが集まります。まもなく来年の準備を始める皆さんに、お話を聴きました。
大隅総介さん(71歳)
現役時代は小売業の第一線で働いてきた。
安穏会員から、最近檀徒になった。
石田直也さん(59歳)
角田浜で専業農家を営む。
平成18年から世話人を務めている。
田中美幸さん(50歳)
塾講師。高校生を教えている。6年前檀徒になった。
居橋典子さん(35歳)
ヨガインストラクター。壇信徒ではないが、縁あって妙光寺に通い始めて3年目になる。
Q.皆さんが送り盆<Xタッフになった経緯を、聞かせてください。
石田 私は35年前、角田浜に婿養子に入って妙光寺の檀徒になりました。
その後、安穏廟ができて、第一回のフェスティバルの時に「手伝ってくれ」と頼まれて、それから毎年手伝うようになりました。
大隅 十年前に息子が亡くなって、安穏会員になりました。お墓を買おうと家内と2人でいろいろ見て回り、海が見えて山がある妙光寺が気に入って、ここに決めました。その時ご前様から「定年しているんだったら、お手伝いしてもらえないか」と言われて、スタッフになりました。小川住職の話に、よそのお寺とは違う改革的なものを感じましたね。
田中 父が亡くなった時に安穏会員になり、母が亡くなった時お葬式をしていただくために檀徒になりました。七百年の団体参拝の時「お手伝いをお願いしたい」というお手紙をいただいて、お手伝いさせていただきました。その後で「今度はスタッフどうですか」と言われて、加わりました。ご前様は、両親を亡くして天涯孤独の私を気にかけてくださったんだと思います。
居橋 私は一昨年、妙光寺で画家の渡辺隆次さんの展覧会が開かれたときに、主催したギャラリー(新潟絵屋)に頼まれてお手伝いに来たんです。ちょうど半年間インドでヨガを勉強して、帰国した二日後でした。インドのカルチャーショックもあって「日本の神様って、どこに行っちゃったんだろう?」と考えていた時だったので、ご前様にそう話したら「それなんだよ!今日本の仏教は大変なことになってるんだ!」ってすごく盛り上がっちゃって、時々妙光寺に来るようになり「是非手伝ってくれ」と言われてスタッフになりました。
Q.石田さんは第一回からのスタッフですが、その頃はいかがでしたか?
石田 第一回は岩屋で演奏や踊りがありましたが、とにかく忙しかったです。
椅子を運んだり、会場整備をしたり…。もっとも私もその頃は若かったので、お寺にはさほど関心はありませんでした。
Q.檀徒の石田さんでも、若い時はお寺とは距離があったんですね。
石田 そうですよ、やっぱり。私の実家の寺は禅宗ですが、住職といえば雲の上の人のような感じで、親しくつき合うことはありませんでした。でも婿に来てみると、義父は若いご前様を可愛がっていて、寺のことに熱心でした。野菜を持って寺を訪ねる義父といっしょに、よく妙光寺に来ていました。そして送り盆=\―当時は「安穏フェスティバル」と言ったのですが――が始まって、スタッフをしているうちに寺とのつきあいが深くなりました。
Q.最初は、スタッフも今のようではなかったわけですよね。
石田 一番初めは、ご前様が指示をして、私たちが仕事をしていたんです。若かったから、苦にはなりませんでしたが…。その後も、県外からボランティアが来てくれましたが、地元のスタッフは、我々檀徒が中心でした。こんなに地元スタッフが増えたのは、ここ10年くらいです。
大隅 私が加わった9年前もまだ地元スタッフは少なくて、檀徒さん以外の毎月集まる人は数人でした。今は毎月の会議に20人は集まるもんね。以前は、ご前様の話を聞いている時間が長かったけど、今は皆どんどん意見を言うようになりました。
石田 私たち檀徒に安穏会員が加わって、変わりましたね。
Q.最近加わったお二人は、スタッフになってみたらいかがでしたか?
居橋 スタッフ会議に出てみたら、びっくりです。普通は会議というとシーンとしているイメージだけど、こんなに人数が多いのに皆好きなことを言い合って、おもしろいなぁと思いました。
田中 私は普段の生活では、主に高校生としか話さないんです。でも、ここはいろいろな人がいる。年配の方だけでなく、働き盛りの人もいる。背景も仕事もバラバラな人たちがいて、もういるだけで楽しいですね。
Q.スタッフをやっていて、大変なことはありますか?
大隅 大変さは、ありません。私も小売業で38年間頑張って来たけど、他の業種の人と接することはありませんでした。ここは本当に様々な人がいて、同じ職業の人は2人といない。おもしろくて楽しい。私みたいな人間が、余生を楽しむにはもってこいの場所です。12月の忘年会が、翌年のことを話し合う最初の会議です。その後は、月に1回ずつ会議をしますが、私はスタッフになって9年間、会議は皆勤です。皆に会えるのが楽しみですから。
田中 私の仕事は土日が忙しいので、会議に出るためには前後に頑張ることになるんです。送り盆当日の前後は、いつもの二倍働きます。それでも楽しいですね。
Q.スタッフ同士の関わりも楽しいんですね。
石田 皆で一杯やるのも楽しいしね。普通のお寺では、檀徒同士で酒を飲むということも、ほとんどないと思います。でも、ここは違います。第一ここは、住職が親しみやすい。自分の人生で、僧侶とこんなに親しく付き合うことがあるとは、想像していませんでした。
大隅 住職や皆と世間話をして、たとえ酒を飲まなくても楽しいですね。
居橋 私は父を亡くしているんですが、妙光寺には「人の死」を経験した方が集まっているなぁ、と感じることがあります。親しい人の死というのは、やはり経験してみないとわからない部分があると思います。とくにそういう話をするわけではないけれど、皆の関わりの中では大切なことになっているような気がします。
Q.「死」の体験が、皆さんの中にあるということですね。
田中 皆の根底に、通じ合っているものがあるんです。体験を語り合ったりはしませんが、何かの折に話すと皆が自然に受け止めてくれます。
居橋 他の場所で話すとしんみりしてしまうけれど、ここではその話題が出た時も、お互いに包みあっている感じです。
大隅 妙光寺に来ると、「死」は当たり前のものだと思えます。人は皆一度は死ぬのだと、ここでは繰り返し聞きますから。
Q.今年の送り盆≠ヘ例年以上のにぎわいでしたが、これからの送り盆≠ヘ、どのようにしていきたいですか?
大隅 いわゆる「終活」がブームになっていて、社会でますますビジネス化しているように思います。送り盆≠ナは、お金でない価値をみつめる部分を大切にしていきたいと思います。
石田 今のように手づくりで、ほのぼのした、温かいものを続けたいですね。
居橋 送り盆≠ヘ、「死者」も含めてものを考えられる場所だと思います。「死者」もそこにいるというか…そういう思いを大切にしたいです。
田中 そこは大事ですね。亡くなった人を偲ぶ気持ちは、昔は祖父母から聞いたりしたけど、今はそういう場所がない。送り盆≠ナ一番大切なのは亡くなった人への思いで、具体的には「法要」だと思います。
大隅 今年の送り盆≠ヘ、とくに成功して充実感がありました。でも、これからも少しずつ変えていかないといけない。同じことをやっていては衰退します。ただし、現在の温かいもの、皆のふれあいを大切にしていくところは、ずっと守っていくべきでしょうね。
送り盆≠フこれからが楽しみです。ありがとうございました。