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信心 〜昔ながらの講中≠ゥら次世代へ〜

2015年12月号

松山講中7軒



歴史ある講中
 10月、妙光寺に近い松山地区の河村フイさんが86才で亡くなられた。お通夜には親族と近隣の方々、そして妙光寺の檀徒である松山講中の人たちが集まった。講中の人たちは、ご前様とともにお経を読み団扇太鼓をたたきお題目を唱えて、仲間のフイさんを見送った。
 「講中」は全国各地のお寺で同じ地域の信仰を共にする仲間≠フことで、江戸時代以来の伝統がある。妙光寺でも以前は集落ごとに講があったが、現在は毎月集まる地区や、お通夜のときだけというところまで含めて8カ所ほどになった。なかには山本講中のように、お通夜以外に春秋の2回、当番のお宅でお経の練習をした後、会費制でお酒も入って賑やかに親睦を深めるところもある。
 松山講中では先代住職の時代、農作業が落ちついた冬の夜、7軒の夫婦が当番のお宅に集まった。こたつを囲み、当時のご前様にお経を習ったという。今は世代交代が進み、比較的若い世代が中心だ。本誌86号で紹介した女子高生の河村奈央さんも、お父さんと一緒に参加している。年代が近い人たちだから意見もまとまりやすい。
 以前は、葬儀があればそのお宅に、葬儀翌日から初七日の前の晩まで集まって、お参りをしていた。「お経の後で、気心知れた仲間たちと持ち寄った漬物やお菓子をつまんで雑談する時間が、身内を亡くした悲しみを慰めてくれた」のである。しかしその習慣も式場が自宅から会館に変わり、手伝う家族や親戚も減ったため途切れがちになっていた。

次世代で復活
 2年前の冬、河村明さんが亡くなったとき、息子の敦志さんが「妻も早くに亡くなり今度は親父。俺も寂しいので初七日から四十九日までの七日毎の夜に集まってもらえないか」と言ったことがきっかけで、追善のお参りが復活した。今回もフイさんの息子夫妻からの申し出で、四十九日までの6回、毎週水曜日の夜に河村さんのお宅に集まり、お参りをした。
 「昔は農家が大半で夜ならいつでも集まれた。いま農家は1軒になって、他は自営業とサラリーマンなので、昔のように連続で5日間は難しい。でも一週間にひと晩なら可能だし、都合がつかなければ無理することもない。お互い様だからね」と明るく語る。集まる人たちは夫婦の一方か夫婦がそろって、あるいは親子でといろいろで会話も弾む。
近いうちに皆で、お寺主催の身延山参拝と七面山の登詣に参加したいと思っている。「農作物の出荷予定をやりくりし、各自で仕事を調整すればできなくはない。是非とも参加したい」と口々に語る。若さで叩く団扇太鼓の音は、力強い。

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