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若い頃からの苦労続き 下山 石山太郎左衛門(74才)さん

2010年12月号

小川英爾

下山 石山太郎左衛門(74才)さん

石山家の歴史は長く、はっきりわかるだけでも現在の石山さんで14代目になる。その先は250年前の寺の火災で過去帳が焼けて記録がない。仏壇にあった家の過去帳も父親が持ち出したので、古いことはわからないと言う。

戦前の話だが、父親が仕事先のスマトラ島から体を壊して戻って以来仕事をせず、やがて家族を捨て財産と仏壇、庭木、庭石まで持って出て行ってしまった。残されたのが当時19歳の石山さんに、母親と3人の弟妹だった。さらにある日突然「この家を買ったので牛舎にするから立ち退け」と言う人が現れた。1週間待ってもらい、親戚知人を駆け回り金を借りてやっとの思いで買い戻した。そのとき「気の毒でお前の苦労は見てられない。返済は期限なしでいいよ」と言う人がいて、助けられた恩が忘れられない。

22歳で「あんたはしっかりしているから娘を嫁にやってもいい」と親に言われ、1歳年上のフミさんと結婚。残された僅かな田畑の耕作に加え、土木作業員として働いた。その無理が過ぎて体を壊したとき、農協に欠員が出たからと誘いがあり、36歳から定年まで33年間を勤め上げた。それまでやったことのない算盤を覚えて主に金融と共済を担当した。

農協職員とはいえ給与は少なく、優しくて明るい、芯の強い妻のフミさんが、僅かな田畑の農業作業で支えてきた。信仰熱心だったが病弱な母親が臥せてからは、フミさんが代わってお寺参りを欠かさなかった。石山さんも定年直前、前任者から本堂建て替え工事で大変なお寺の世話人を任され、今に続いている。

退職の翌年、念願の家を新築した。その家に入って8年後に母が、さらに3年後の平成19年には最愛の妻フミさんが逝った。いま2人の娘は嫁ぎ長男夫婦も別所帯なので、石山さんは一人で暮らす。朝7時に起きると20分、夕方は15分の仏檀参りを欠かさない。夕方のお参りを終えると、手料理のつまみでテレビのスポーツ中継を見ながらの晩酌が日課だ。一昨年に生前戒名を、この春には一日研修も受け、寺の行事にはバイクに乗って駆けつけるから、お経も覚えた。

「息子の家族が戻ってくれると俺も安心だし、一緒に暮らせばお互いの生活も楽になるんだが・・・」と心配の種は尽きないが、これまでの苦労と信仰心からか弱音は口にしない。

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