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当たり前のこと

2007年9月号

小川英爾

毎年お盆の14、5日の2日間、お経回りの応援にきてもらっている東京江戸川区の宣要寺ご住職の成川上人は、私より10才若いから45才。日本で不要になった老眼鏡を集めては、スリランカに贈る運動の中心的活動をしている行動派の住職だ。

池上本門寺で修行していた学生時代に、お手伝いということで来てくれたのが最初だった。「妙光寺さんの檀徒さんは広範囲に点在するから、お盆の暑い中を限られた日数で回るのは大変で、最近の若い坊さんでは一度きたら懲りて翌年からは来ないですよ」と言いつつ、もう20年以上欠かさず来ていただいている。それほど責任感の強い、生真面目な性格だ。その成川上人が今回こんな話を聞かせてくれた。

ある日突然にお寺を訪ねて来た男性が「成川、俺のこと覚えているか?小学校で同級だった○○だよ。突然で悪いんだがお前のことを思い出して、頼みを聞いて欲しくてやって来たんだ。聞いてくれよ。俺の町内に住む年老いた母親と二人暮らしで、コンピュータの操作を生きがいにしている男がいるんだ。最近彼が失明を免れないという悪い目の病気に罹り、生きる気力を失くしてしまった。俺も心配で気にかけていたんだが、京成電車に飛び込んでしまった。他に家族もいないので、民生委員さんと福祉のお金で葬式をしてやろうとアパートに行ったら、部屋に母親と思われる遺骨と戒名の書いていない白木のままのま新しい位牌があった。そこで今回、本人と母親の二人の葬式にしてやろうと思ったのさ。でも福祉の金では本人の分だけしか出せないという。どうだろう住職のお前に一肌脱いでもらい、協力してもらえないか」。

成川上人「よしわかった。なんでもするぞ」と応え、既に民生委員さんの手で遺体が安置された葬祭場に向かった。その夜、民生委員と友人と成川上人の三人でお通夜、翌日火葬して遺骨をお寺の本堂に安置。そしてその翌日、本人と母親、二人の遺骨を並べて葬式を始めようとしていたそのとき、10人ほどの人たちが集まってきた。どこかで話を聞きつけた同じ町内の人たちだという。

「話を聞いて気のどくに思ってね、俺たちもなんか力になりてえ」と、おすし屋さんのオヤジが寿司を、酒屋のオヤジが酒を、花屋の奥さんが花を、それぞれが何かしらを抱えて、さらにわずかだけどと香典の包みまで。急きょ参列者の増えた葬式になった。「皆他人なのに、なんだかとても心のこもった法要だった」と成川上人はいう。その後皆で持ち寄った品々を囲んでのささやかなお斎が行われた。

数日後、その同級生がお寺を訪ねてきて「葬儀費用を清算したらこれだけ残ったから、悪いけどお布施ということで本堂の仏様にお供えしてくれないか」と5万円余りを出した。さらに「成川、お前がすぐに快く引き受けて全部段取りしてくれたお陰で本当に助かったよ。俺の町内では宣要寺の住職は立派だってもっぱらの評判だよ」。「とんでもない、俺は坊さんとして当たり前のことをしただけだよ。それよりすし屋のオヤジさん始め、町内の人たちこそすごいよな、他人の為にあそこまで思いやることができるなんて」と成川上人は答えた。

確かに、当たり前のことがなかなか出来にくい社会でもあるし、何よりも現代の日本にこんな人たちがいることにホッとさせられた。江戸川区といえば隣が葛飾、フーテンの寅さんを思い出す。柴又の御前様も題経寺という日蓮宗のお寺であることをご存知の方はどれほどおいでだろうか。千葉にかけてのあの辺りには日蓮宗のお寺が多く、矢切の渡しも有名で、皆さんと電車を使って一日参拝して巡るのもいいなと思った。(ご希望でしたらお知らせください。来春にでも計画しますか)

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