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信心 安穏会員から檀徒に
新潟市東区粟山 木内春雄(76歳)・ヒサさん

2015年7月号

鎌田義明


 木内春雄(76歳)・ヒサさん


 木内春雄さんは長野県飯山市の生まれ。飯山北高校を卒業して、電電公社(当時)に就職し、新潟県十日町市に赴任した。24歳の時に、同僚で6歳年上のヒサさんと結婚し、ひとり娘の聡子さんが生まれた。長い間単身で県内各地をまわり、45歳のとき新潟電話局に赴任した。そのとき家族で新潟市内の社宅に移り、その後平成2年に現在地に自宅を建てた。

妙光寺とのご縁
 娘の聡子さんが県外に嫁ぎ、後継ぎの心配をしていた頃、新聞で安穏廟の記事を読み、お墓を求めたのが妙光寺とのご縁の始まりである。以来、フェスティバル安穏=i送り盆)に幾度も参加し、お大会(だいえ)には仕事を休んで参拝するようになった。 15年前からフェスティバル安穏≠フ会計担当となり、細かい出納に頭を悩ませている。苦労も多いが、参加者やスタッフが楽しんでいる様子を見ると、やりがいを感じるそうだ。
 退職後は警備受付業務に就き、ビル管理に係る様々な資格を取得した。根っからの努力家である。お寺では、安穏会員から妙光寺檀徒となり、世話人も9年間務めて今春定年を迎えた。元旦から始まる行事の受付も担当し、顔見知りも増えた。

仏弟子として
 身延山団体参拝旅行には2回参加、七面山も登詣している。また、春と秋に行われる1日研修会にも数回参加し、お寺で泊まりがけの研修をしたこともある。昨年10月には、夫婦そろって生前法号(戒名)を受けた。今春は、妙光寺主催のインド仏跡参拝旅行にも参加した。お釈迦様の地インドに、一生に一度は行きたいと思っていたという。お釈迦様が『法華経』を説かれた霊鷲山では、不思議と昔来たことがあるように思えた。それほどの安らぎを感じる場所だった。そして、機会があれば、是非また仏教にゆかりの深い他の国々にも出かけてみたいと考えている。 先日、ご前様に曼荼羅御本尊を書いていただき、開眼供養もしていただいた。今は神奈川県とアメリカにいる2人の孫の活躍が、楽しみである。

願い
 木内さんは、妙光寺にお墓のある方は、せめて年に一度はお寺の行事に参加してほしい、と言う。そして自らの終の住処となるお寺のことに、もっと関心を持って、知ってほしいと願っているのである。「ご縁のある方には、是非お寺に足を運んでいただきたい」と熱く語ってくださった。 

 
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