信心 〜自宅の一角に茶店を開店〜
新潟市西蒲区福井 羽生ヒロ子さん(66歳)
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2017年3月号 |
鎌田 |
母を看病した少女時代
羽生ヒロ子さんは、旧西蒲原郡吉田町に4人姉弟の三女として生まれた。畳職人の父は家族を養うため仕事一筋、黙々と働く人だった。母は病弱で入退院を繰り返し、命の危機も度々だった。小学生のヒロ子さんは、2人の姉と交代で学校を休み母の看病をした。子どもたち全員を親戚に預ける話も出たが、家族別々の生活は避けたいと願い、一心に母の快癒を祈った。
このころある宗教への誘いがあり、ワラにもすがる思いで入信した。病気の母は活動できないため、小学生だった姉とヒロ子さんが集会に参加した。しかし中学1年のとき、納得できない思いがつのり退会したという。
結婚と夫の死
高校卒業後、以前から希望していた経理事務所の事務員として職を得たヒロ子さんは、同じ会社で働く伸一さんと結婚した。ともに行動することが多く、不思議と自分はこの人と一緒になるような気がしていたという。
婚約中のある日、伸一さんが仕事先で突如倒れた。脳腫瘍が見つかり、手術も幾度かに及んだ。自分と結婚しても苦労するだろうと思った伸一さんから、婚約破棄の申し出もあった。しかしヒロ子さんは「私がいなければこの人は助からない」と強く思い、結婚を決意した。
24年に及ぶ闘病生活のうち10年程は体調も良く、義父母の農作業を2人で手伝った。田植えや稲刈りは全て手作業で、農業の知識がまったくないヒロ子さんは苦労した。でも伸一さんと一緒だから乗り越えられた、と当時を思いかえす。その伸一さんは今から20年前に他界された。
商工会議所に経理指導や相談役として復帰したヒロ子さんは、懸命に働いた。学校に通う2人の子どもの世話は、まだ元気だった義父母がしてくれた。その義父母も持病があり入退院を繰り返した。その介護では苦労もしたが、亡きあとは義父母の支えがあったからこそ今があると、感謝している。
妙光寺世話人に
2年前に、地区の世話人を引き継いだ。経理の経験を活かして、『法灯継承式』では会計係を担当する。
以前にも増してお寺との縁が深まったのを機に、昨年は生前法号もいただいた。「その戒名に夫の戒名と同じ文字が入っていたので、いつも夫と一緒にいるという気持ちがさらに強くなりました」と語る。嫁いでからずっと朝の仏壇参り、仏飯やお供えを欠かさず、最近はお経も唱える日々だ。
茶店を開店
子どものころから自分の店を持つのが夢だった羽生さんは、今年2月、自宅の一部を改装し『茶店さとやま』を開店した。コーヒーや紅茶、抹茶などの他、ヒロ子さん手作りのけんさ焼き=i生姜味噌を塗った焼きおにぎり)も食べられる。
「仕事の区切りがついた今、地域の人たちの憩いと交流の場になればと思っています。お寺での色々な人との出会いも、6人の孫の成長も楽しみです」と素敵な笑顔で語られた。
『茶店さとやま』は火、土曜定休。10時〜17時西蒲区福井1281番地(隆崇寺向)
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