信心 〜感謝を胸に生きる〜
新潟市西区青山 中原美智子さん 80歳
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2016年3月号 |
鎌田 |
中原さんは佐渡島の生まれ。4人兄妹の次女で、両親は味噌樽や手桶、人が乗ってワカメやサザエを採るタライ舟造りの職人だった。
結婚まで
高校を卒業後、田舎暮らしが嫌で、親の反対を押し切り上京した。幸い佐渡が本社の(株)丸大味噌の新宿出張所で、住み込みの事務員として働いた。
当時会社は、佐渡出身者だけを雇用していて、男性社員には働きながら大学に通う制度があった。夫・克夫さんも、そのひとりだった。美智子さんは、克夫さんの卒業を待って職場結婚した。結婚式は、職場の仲間が事務所で盛大にお祝いしてくれた。
闘病生活を支えて
結婚と同時に夫婦で大阪出張所に転勤して6年が過ぎた時、30歳の克夫さんに腎臓の病気が見つかる。以来不治の病との闘いが始まった。やがて克夫さんは人工透析が必要となり、2人は治療のため新潟市に移り住んだ。美智子さんは、デパートで働きながら、入退院を繰り返す克夫さんの看病を続けた。デパート勤務の最後の15年間、克夫さんは透析の合併症に苦しみ、美智子さんは毎日デパートの制服を着て病院から出勤した。40年間に及ぶ闘病生活のなかで、あの頃が一番つらい時だったと思いだす。
檀徒として
克夫さんが夫婦で一緒の墓に入りたいと言ったことから、2人は平成17年に安穏廟を求めた。そして平成22年に夫婦そろって生前戒名を受けた。その年の12月、克夫さんは他界された。佐渡から集まった親族とともに、妙光寺の京住院で心温まる葬儀を営めたことが忘れられないと言う。
以来、美智子さんは、自宅の仏壇で朝夕のお勤めを欠かさない。お寺の研修会、身延山団体参拝、月例信行会や毎月15日のボランテラなど年間の行事のほぼ全てに参加している。4月29日のご判様では、『霊山旗』を持ってお練りにも加わる。夏の「送り盆」では、信行会の仲間とともに法要に出仕している。そして妙光寺お茶クラブの一員として、行事のお茶席で活躍。最近は、お茶クラブの仲間といっしょに着物の着付けも習い始めた。お寺以外でも、月4回の太極拳と、パッチワーク教室にも通って、多忙な毎日を元気に過ごしている。
感謝と恩返し
人生のほとんどを夫の看病に努めた美智子さんは、「今まで本当に大勢の人々から励まされ支えられて生きてきた。残りの人生は、支えられたことへの感謝を胸に、恩返しの気持ちで仏道を歩んでいきたい」と、いつもの柔和な笑顔で語ってくださった。
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