日蓮宗 角田山妙光寺 角田山妙光寺トップページ
住職紹介 現在の取り組み 住職ここだけの話
HOME >> 住職紹介 >> 住職ここだけの話 >> 『悲しみはいつまで』

『悲しみはいつまで』

2016年9月

 

若い庭師
 千葉県のDさんは大学で造園を学び、家業の庭師を継いだ。作業の合間に篠竹を切ってきて横笛を作ってしまう、器用で感性豊かな人だった。
 大学の先輩である野澤清先生が妙光寺の造園設計を担っていたことが縁で、仲間と共に妙光寺を度々訪れた。ボランティアで三重塔の庭を作り、工事の経過を記録した立派な写真集を作って私を驚かせたのもDさんだった。 

突然の訃報
 ところが8年前の12月、そのDさんは剪定中の木から落ち、庭石に頭を打って亡くなってしまった。行年47才の短すぎる生涯だった。お通夜に伺い、菩提寺による法要前にお経をあげさせていただいた。高校の同級生で、彼が「Nちゃん」と呼んで仲の良かった奥さんと、幼い2人の子供が遺された。また大事な跡継ぎのひとり息子を失った両親の落胆も大きかった。お墓や仏壇、法事のこと等々で、お嫁さんであるNさんの考えを聞く心の余裕もなかったようだ。
 突然夫を喪った悲しみと、納得いかない出来事の連続。二重の苦しみを抱えて、Nさんはいつも夫から話だけ聞いていた妙光寺へ相談に訪れた。その後も折に触れて手紙やメールが届いた。辛い気持ちや、薄皮をはぐような歩みで平静に向かう心の内が綴られていた。そして今夏のメールには、子供たちが高校に元気に通っているとあった。了解をいただいて、その一部を引用する。

故人からの叱咤激励?
 「5月に夫のところに行きましたところ、2軒先の空き区画で墓石を建てる工事をしていました。作業員さんに「お墓を開くのは、いくらくらいかかるのですか?」と聞いてみました。不思議そうな顔をされたので、「震災で骨壷が倒れていないか気になって」と説明したところ、その場で開けてくださいました。「お金なんていらない」と言われ、お礼を言うことしかできませんでしたが、もうとにかく会えたことが嬉しくて、嬉しくて。
 彼の骨壺はしっかりお墓の中で自立していました。7年ぶりの再会で胸が熱くなりました。その日は私たちの20年目の結婚記念日でした。偶然にしては出来すぎとも思えました。というのも、その4日後に、私たちが結婚式を挙げた船橋大神宮で挙式されるお客様があり、その衣裳のお世話を、私がすることが決まっていたからです。
 船橋大神宮には、夫が亡くなってから一度も足を運んだことがありませんでした。夫を護ってくれなかった、と勝手に思っていました。他人様の幸せな日をお世話することに気が重くもあったのです。夫がそんな私を叱咤激励してくれたような気がして、お墓参りの帰りにそのまま大神宮に行き、今までの非礼をお詫びしてきました。4日後の結婚式は晴天に恵まれ、お似合いのお二人を心からお世話することができました。
 夫を喪ったことは私にとって一生塞がらない傷なのかもしれませんが、今回のことで少しだけ吹っ切れたような気もします。」
 これを読んだ私は『常に悲しみをいだき、心はついに目覚めたり』というお経文の一節を改めて思い起こした。


三重塔造園工事のメンバー、後列左端がDさん。2004年。
 

  道順案内 連絡窓口 リンク