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「父から受け継いで」
新潟市東区 石田謙一(62歳) 愛子(60歳) 夫妻

2012年9月号

永石光陽

新潟市東区 石田謙一(62歳) 愛子(60歳) 夫妻
新潟市東区 石田謙一(62歳) 愛子(60歳) 夫妻

石田謙一さんは、本年新たに妙光寺の世話人に加わって頂いた。奥様の愛子さんも毎月の信行会、春秋の研修会に参加している。しかし、ここまでの二人の道のりは決して平坦ではなかった。

妙光寺の古くからの檀徒である石田家の分家に産まれた謙一さんは、父金衛さんが新潟市窪田町に創業した自宅兼鉄工所で育った。高校を出てすぐ父の経営する鉄工所に勤めたが、その頃の父はよく働くがお酒もよく飲んで母に苦労をかけている印象が強く、わだかまりが拭えなかったという。努力家の謙一さんは、専門の知識を独学で学び、人の技を盗んで技術を磨いた。24歳の時、社長である父・金衛さんが脳梗塞で突然倒れた。半人前の謙一さんだが、会社も借金を抱え、従業員も雇っている。一命は取り留めたが後遺症が残る父と家族もいる。引くに引けない思いで会社を引き継いだ。そして、工作機械の生産から、大企業への部品納入へと方向を変えながら、懸命に操業した。

31歳の時、知り合いの紹介で愛子さんと結婚。愛子さんのご家族は、謙一さんの抱えている事情をとても心配をしたという。しかし愛子さんは、謙一さんと共に働き、家族と会社を支えた。納期が近くなると家族が一丸となって夜通し働いた。会社の経営が苦しくなると、今度は社員が謙一さんを支えてくれた。

「本当に周りが支えてくれました。妻も家族も社員もいろんな方が。そのように思えること、今口にして言えることが幸せです。」と語る謙一さんだが、2年前に遂に決断のときが訪れた。

「会社の借金もなくなり今が潮時だと思い、幕引きできるように道筋をたてました。社員には事情を説明して辞めてもらい、今は私一人で細々とやっています。なぜだか、父が創業した会社の幕引きをするのが、役目だと思っていました。」という。元社員たちとは先日も納涼会を開き、今でも交流している。

「父が倒れたときは、無我夢中でした。若くして住職になられた御前様も似たような境遇だったでしょう。親近感が湧きます。今思えば、あの時倒れたのが、父の優しさだったかもしれない。会社を任されたことで、創業し運営していく父の苦悩がわかるようになりました。数え年83歳まで生きた父は、晩年3年間は寝たきりとなりました。家族の助けを借り、私が下の世話もしながら、自宅で介護しました。そのことが若い頃、母を悩ませた父へのわだかまりを消し、逆に父をいとおしく感じられました。本当に大切な時間を頂きました。」と語る。

昼夜問わずに、働き続けてきた石田さんご夫婦。少しだけ時間が持てるようになったので、昨年の身延団参に参加しお寺にも頻繁に足を運ぶようになった。これからは二人でいろんな所へ出かけてみたいという。『思い続けていれば、実現する』最後に力強く語られた言葉に、ご夫婦で苦難の道のりを越えてきた強い信頼を感じた。

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