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Sさんの最期

2012年7月号

小川英爾

まだ冬のように風の冷たい3月の早朝、一人の男性が駆け込んできました。「私はSさんの近所に別荘を持つAです。今Sさんのお宅の前を通り、いつものように『来たよ!』の合図でクラクションを鳴らしてフト見たら、玄関先でSさんが倒れて、冷たくなっていました。『俺にもしものことがあったら妙光寺さんに知らせてくれ』と、いつも聞いていたので来ました」と言うのです。

救急車を呼び親族にも知らせて、私も現場に向かいました。間もなく到着の救急隊が警察に通報し、その場で検死の結果外傷はなく、死後数時間が経過しているとのことでした。

80才のSさんは独身で、長らく県外で働いていました。高齢になって故郷新潟に戻ったものの、親族に負担をかけたくないと安穏廟を契約して妙光寺の近くで借家をしていたのです。以前から「もしものときは」との話だけはありました。しかし生前戒名は受けたものの、それ以外は何も進展していない、そんな矢先の出来事でした。

駆け付けた親族の方々も困惑しています。身元もすぐにわかり、前日までの状況も親交のあったAさんが証言したので、事件性はないと大げさなことにはならずに済みました。  親族は妙光寺での葬儀を希望し、葬儀社との打合せ、家主さんと自治会長さんにご挨拶、自宅に戻ってそれぞれ仕事の予定の調整と大慌てです。

実際のところ事はすんなりいったわけではありません。親族「本人から葬儀を含めて一切を妙光寺さんにお願いしてあると聞いています」。私「その意向は聞いています。しかし手続きしないと何もできないから、と再三お伝えしていました。」そんな押し問答があったのです

お通夜と葬儀には親族数名の他に、自治会長から知らせを聞いた地区の民生委員さん二人も参列されました。そのお二人が涙をふきながら顔見知りの私に、「どうして突然に?敬老会に出席されて歌ったり、他の方と親しく話されたり、良い方だったのに驚きました」と言います。そんな会話もあって、親族は落ち着いた雰囲気に変わっていきました。

後日の四十九日忌法要と埋葬も終え、叔父にあたる方が「一時は慌ててしまい、失礼なことを申し上げました。ここまですませることができて感謝しています。実は借家の後始末、廃車の手続、預金通帳の解約等々、相続人が複数いて今も面倒しています。故人となったけど、もう少し最後のところをしっかりして欲しかった」と、話していかれました。

一方で発見してくれたAさんの言葉が心に残っています。「なぜあんな寒いドアの外で倒れていたのか。もしかしたら、毎朝通る俺に見つけて欲しいという気持ちだったのかなと思うんですよ。いつも一緒にお茶を飲んだり、ドライブに行ったりしていましたからね。」

隣人とのいい関係を築くことの大切さと同時に、親族への配慮としての遺言書の必要性をあらためて思いました。ただその人の性格によっては、なかなか難しい場合もあるということも。

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