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ご縁に導かれて 新潟市中央区 丸山 雄(74歳) 幸子(69歳) さん

2011年12月号

小川英爾

丸山 雄(74歳) 幸子(69歳) さん
新潟市中央区 丸山 雄(74歳) 幸子(69歳) さん 

雄さんは両親に伴われて6歳のとき、満州から札幌へ引き上げてきた。大学卒業後新潟県の職員として、主に佐渡で栽培漁業の研究に従事。全国に先駆けてヒラメ稚魚の大量生産技術を開発するなど、漁業資源の保護育成に貢献された。今は山歩きが趣味で、低い山には幸子さんも同行する。

かつて北海道で動物王国を主催したムツゴロウ先生という作家がいたが、動物好きな共通性があるのか、優しさたっぷりの笑顔が良く似ている。幸子さんが開いていた喫茶店の、常連客だったのが縁で結ばれた。4年前に安穏廟を申し込まれた。

雄さんの生家は神道だったが、幸子さんの生家の菩提寺は県内の日蓮宗。安穏廟に縁があってから、幼い頃母親が妙光寺へのお参りするのに何度も連れて来られたことを思い出した。その母親も実家の菩提寺が日蓮宗で、やはり幼い頃から母親に連れられて妙光寺に何度も行ったと聞かされた。

日蓮聖人の霊蹟として妙光寺は昔から県内外の信者のお参りが多い。ことに『ごはんさま』といって、毎年4月に日蓮聖人の遺された御判をご開帳する行事には、数百人の参詣者が列を成した時代もある。幸子さんのお母さん、お祖母ちゃんもそのひとりだったのだろう。

古くからのご縁から親しみを感じ、おふたりは妙光寺への行事参加が頻繁になった。定例の行事の他に、毎月の信行会とボランティアならぬボランテラと呼ぶ作業奉仕、春秋の一日研修会も欠かさず、そのおかげでお経もかなり身についてきた。本山の身延山、七面山への団体参拝も2回参加し、この秋には揃って生前戒名も受けた。

その幸子さんにはこんな出来事があったという。「昨夏私の弟が急死しました。私なりに落胆しきった義妹の力になりたいと思い、49日忌まで毎日通って霊前で習いたてのお経を読ませてもらいました。そしたら義妹から「本当にうれしかった」と泣きながら感謝されたんです。

またこの秋のお彼岸には、母の弟で一昨年亡くなった新潟市西野の加藤さんのお仏壇お参りに行きました。そこで従兄弟が『こんなのが親父の遺品から出てきた』と見せてくれたんです。それは21年前の『妙の光』が第1号からずっと、とても丁寧に綴られたファイル。それにこれまでご住職が紹介された新聞記事の切抜きの数々でした。祖母の影響でしょう、加藤の叔父さんもこちらにずっとお参りしていたなんて、初めて知って本当に驚きました」とのこと。

確かに加藤さんはある年の『ごはんさま』にお参りしたとき、山門で吐血して救急車で搬送された。大変心配したが後日「胃潰瘍でしたが無事退院しました」と妙光寺にお礼に来られた方だった。あれから30年近く、84歳の大往生だったそうだ。

おふたりで「不思議なご縁に導かれて、お参りのたびに気づかされることがたくさんあります。おかげさまで感謝の気持ちで日々心穏やかに過ごせるようになりました」と笑顔で話してくださった。

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