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毎月のように寺参り 新潟市西区 小林清(66歳)・昌子(65歳)さん

2011年3月号

小川英爾

中国・天台山参拝で蘇州にて
中国・天台山参拝で蘇州にて

二人は定時制高校で放送部の先輩と後輩だった。その頃から交際が始まり、清さんが卒業後地元企業に就職、東京支店に配属されたので以降は文通を続けた。昌子さんは末っ子だったが兄姉が家を離れ、清さんは末っ子の六男。必然的に婿入りとなって、清さんが25歳のとき新潟に戻り結婚した。

兄姉が多い清さんの実家は貧しく「親には何事にも一生懸命になれ。人様には迷惑をかけるなと言われて育ちました」と。転属した系列の会社でも懸命に働き、共働きで3人の子どもは同居の両親が世話をした。40代後半で管理職に就いた清さんが社内の人事問題に悩み、出社拒否状態からついにはひとり家を出て、自殺を考えながら1ヶ月半放浪を続けた。当時入院していた母親がことのほか心配し、ようやく連絡が取れた暮れの12月、昌子さんが広島まで迎えに行った。「あの頃は本当に色んなことがあって、大変だったね」と昌子さん。

その後親戚の引き合いもあって高速道路の料金徴収の仕事に就いた。そこでも懸命に努め、正社員から業務部長になった。しかし仕事上のミスが2回続き、任期を残して63歳で身を引いた。実は清さんには40代から手術でも治せない遺伝性の難聴があり、それが話の行き違いを生むミスの原因なのだ。今は清さんが趣味の写真とパソコンと料理、昌子さんはフォークダンス、コーラス、折り紙、さらに二人でスクエアダンスに夢中の毎日を送る。

住まいのある町には昔から妙光寺を含めた3つのお寺の檀家が混在している。以前にはその20軒で講″という集まりを月ごとに各家持ち回りで開き、お経を読み、お茶を飲んだり、時には日帰りで温泉にも行った。両親が熱心だったこともあり、家が会場になれば二人は準備やお茶出しを手伝った。時には親に代わって飲み会にも出たことで、実家が浄土真宗だった清さんもすっかり日蓮宗に馴染み、お経も読める。その講は若い世代に繋がらず先ごろ解散した。

退職してからは妙光寺の研修会に二人で参加したり、昨年の中国・天台山団体参拝にも行った。毎月の朝の信行会や暮れの落ち葉掃きにも出たから、月1回以上は通ったことになる。「頭が悪くても誠実にやっていれば、必ず誰かが見ていてくれるものです。なぜお寺の役に立ちたいか、自分でも不思議ですがよく分からないんです」と清さん。「夫の実家の菩提寺、母の実家の菩提寺どちらもお盆に墓参りしても本堂でさえ閉まっています。妙光寺はいつもカラッと開いてとてもオープンな感じで、つい行きたくなるんです。10年ほど前の身延山参拝旅行では七面山にも登りました。この秋にも参加してもう一度登りたいけどどうかなあ」と昌子さん。

8月のフェスティバルには15年以上も毎年参加して、親しくなった県外の方を自宅にも招いたこともある。清さんが通った『オヤジの料理教室』の主宰者が、安穏会員だったことを後で知って驚いたなんて話も。

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