日蓮宗 角田山妙光寺 角田山妙光寺トップページ
寺報「妙の光」から 最新号 バックナンバー
HOME >> 寺報「妙の光」から >> バックナンバー >> 2003.12〜2013.12 >>「ご本尊をいただいて 三条市 羽生哲朗(76才)・マサエ(67才)さん」

ご本尊をいただいて
新潟県三条市 羽生哲朗(76才)・マサエ(67才)さん

2010年9月号

小川英爾

ご本尊をいただいて 新潟県三条市 羽生哲朗(76才)・マサエ(67才)さん

お参りする対象をご本尊といって、日蓮宗では仏様の名前を書いた曼荼羅を掛け軸にした形が一般的で、日蓮聖人が書かれたものも多数現存している。羽生さんは分家の初代で亡くなった方はいない。でも仏壇を買い求めて日々のお参りを欠かさず、さらにお盆など特別の日にお参りするのにこのご本尊を希望し、このたび小川住職が書いた。

哲朗さんの生家が妙光寺檀徒で、代々信仰熱心な家系だった。母親が早くに亡くなり6人兄弟の末っ子の哲朗さんは、この祖母に可愛がられてよくお寺に連れて来られた記憶が鮮明に残っている。祖母は文字が読めないのに、多くのお経を暗記して朗々と唱える人だった。哲朗さんが12歳のとき父親が中風を患い、その4年後の1月に祖母が、続いて3ヶ月後に父が他界。その3ヶ月間、病床の父が這いずって毎朝祖母の仏壇へのお参りを欠かさない姿を見ていた。そのとき「信仰するってこんなすごいことなのか」と子供ながらに強烈な思いを持った。

父を亡くしたその年に中学を終えた16才の哲朗さんは、父と長兄が始めた家業の印刷業に就いた。以来50年。やがて活字を使った活版印刷がコンピューターに代わるという時代の流れを期に、後を長兄のお婿さんとその息子に託して65才で引退した。「退職まじかのころ、長年使ってきた活字が不要になり、ガラガラと箱に放り込まれて回収業者に引き取られていくときは何とも言えない寂しさが募りました」と。

勤めていた頃は、出勤するとまず生家の仏壇にお参りしてから屋根続きの工場に出る習慣だった。退職でそれができなくなり、亡くなった人もいないのにという友人の声もあったが、マサエさんと相談して真っ先に仏壇を求めた。そして平成15年には二人揃って妙光寺で生前戒名を受けた。さらに今回のご本尊。やはり妙光寺檀徒の義兄から「あんたらは立派だって言われましたがそんな大げさな気持ちではないんです。ただそれが生きる支えとでもいいますか」と。

背景にもう一つ、偶然にもマサエさんの実家も熱心な日蓮宗だったことがある。「若いころ足の不自由なマサエの祖父を支えて本山の身延山に参拝しました。死ぬ前に一度行きたいと言うものですから。当時から思えば便利になったし整備されましたね。一度だけ七面山に登ってお参りしたのですがあの感激が忘れられません」

哲朗さんは縁あって25才から謡曲を続けてきた。頼まれて公民館で教えた人がお弟子さんになって「林声会」の会長を務めるがこれも生甲斐のひとつになっている。

  道順案内 連絡窓口 リンク