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漁師生活60年
五カ浜 遠藤一敏(75才)さん マサ子(71才)さん

2006年7月号

小川英爾

 今年は世話人の改選期にあたり、遠藤一敏さんは定年で引退される。ところが五カ浜は過疎の村で、高齢者ばかりのため後継者がいない。一敏さんも八年ほど前、前任者が病気のために引き受けた。運転免許を持たないうえ、バス路線が廃止されてお寺への行き来も不自由しながら勤めてくれた。
  15才で学校を終えると父親を手伝って漁師になった。父親は長年茨城の海で船頭を勤めたベテラン漁師で、名人と言われた人だった。でも漁の方法も網の作り方も「自分で見て覚えろ」と教えてはくれなかった。母親も「毒消し売り」の出稼ぎで村を離れ、幼い兄弟四人は親戚の家で育てられた。当時村の生活は厳しく、どこの家でも似たようだったという。マサ子さんの生家も生計が成り立たず、村を離れて茨城で父は漁師、母も「毒消し売り」の家だった。せめて郷里にと、一敏さんに嫁がされた。
  今でこそ機械化されて高齢になってもできる漁師だが、若いころは全てが手作業で、網を海中に留める重石を肩に担いで運んだり、縄をよってのロープ作業は手に豆が絶えない辛い作業だった。日中は山仕事に畑仕事、魚が獲れれば朝まで網からはずす作業と、文字通り寝る時間がなかった。水にも不自由する土地で、当時は山の沢水を竹筒で引いてきたが、その分配で近所と騒動にもなった。年寄りを抱えない家では村を離れた人も多い、厳しい土地だった。
  近年機械化した大型船による乱獲のせいか、漁獲量もめっきり減った。「歳でもあるし、あと何年やれるかなあ」と言う。二人の子供は独立して、夫婦二人暮らし。晩酌と明日の漁を楽しみに過ごす一敏さんは、「朝も早いし仏様は母ちゃん任せだ」と。マサ子さんは花を絶やすことなく、お参りを欠かさない。身延山参りも数年前に参加。「今度は父ちゃんに行ってもらう」と。
  次の世話人に現在新潟市内でひとりで暮らし、毎日のように村の生家に来て畑仕事をする、元気な六十代の女性を思いついた。早速一敏さんが「元気なうちは俺も手伝うから、後を頼むよ。お寺のことをするのは皆も助かるから、きっといいことがあるよ」と、いつもの笑顔でお願いし、すんなり引き受けてもらえた。信頼厚い遠藤さん夫婦の人柄なればこそだ。

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