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流れる時間のなかで

2010年12月号

小川なぎさ

年末調整の書類を書きながら何かに追われるようにビューンと過ぎてしまったこの一年を振り返っている。手帳には簡単な日程が書き込んであるのだが、余白には見ておきたい映画や読みたい本の題名などのメモが記されているものの、なかなか自分の思うような時間の過ごし方はできなかった。悔やまれることも多い。しかし幸せだと思う出来事も振り返ればたくさんあったように思う。

寺のスタッフが増えて私の仕事の負担は激減した。でも家事をきちんとこなすにはそれなりの時間が必要だし、掃除を始めればこの寺の広さゆえに簡単には終わらないので、結局あわただしく一日が過ぎてしまった。それでもよくよく考えてみると私は結構掃除や炊事などの家事は好きなほうだということに気がついたので、満足な年だったと締めくくることとしよう。

寺の大部分がいつでも誰でも自由に出入りできるような空間の中で、廊下の突き当りは唯一家庭の匂いのする二十畳ほどの居室で、ここで4人の娘を育てた。だから大人になった娘が帰省しても家族6人と犬がひしめきあって眠り、テレビをみたりする。また私の事務室でもあるので、はやりの断捨離(だんしゃり)のようにものを捨ててすっきりと暮らす・・ということにあこがれつつも、ものすごくごちゃごちゃしている。壁も畳もぼろぼろだし、忙しい住職は気持ちが休まらないと時々不満をもらすのだけれど、それが家族を持ったが故の苦しみだと我慢してもらうしかない。

そんなこともあって、年齢的にも気力だけではどうしても疲れがとれないことがたびたびおきたので、静かな落ち着いた環境が(たとえば病気で薬を飲むように)必要になり、車で十分のところに社宅を設けていただいた。古い中古住宅だが、住職はここで原稿を書いたり休息をし、私は一人になりたいときに泊まったりする。外国の友人が長逗留し、娘の友人が親と喧嘩し家出をして泊まったこともある。永石上人もここで一年あまり暮らした。

草や竹やぶのうっそうとした古い寺を、ここまで活気のある今のような寺にするまでにはそれなりに苦労もあった。しかしながらこの35年の時間の流れの中で、たくさんの方々のお力により住職も過労死にならずにやって来れた。これは幸せ以外のなにものでもないし、これ以上望んだらバチが当たると思ったりもする。妻としてはあまりにもお坊さん的な住職の生き方に不満がないわけではないが、もうあきらめた。同時に自分自身も物事に執着が無くなってきたので少しずつ気持ちが楽になってきたこともあって、来年も感謝の気持ちを持ち、心して過ごそうと念じている。

秋に神奈川のSさんがみなさんの健康のためにと、浄水活水器を寄付して下さいました。水道管のもとに取り付けられたので、寺のすべての蛇口から健康に良い水が出ます。安心してお飲みいただくことができるようになりました。ありがとうございました。

「感謝して師走の空を見上げつつ 幸多かれと銀杏を拾う」来年もよろしくお願いします。

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