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誌上法話
 「教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝し、歓喜身にあまり心の苦しみたちまちやむ」
(日蓮聖人『忘事経事』) 

2015年7月号

小川英爾


分骨の習慣
 新潟の葬儀では、火葬後に遺骨を大小2つの箱に分けて持ち帰ることがよくあります。お墓に埋葬する段になって「どうすれば」と相談を受けます。なかには「折角だから小さい方はもう少し手元に置いて語りかけたい」と言われることもあり、「どうぞ、そうなさってください」と応えています。関東などほかの地域では、申し出ない限り遺骨箱は1つです。

本山納骨
  これは本山の身延山に分骨を納める習慣が古くからあったためです。浄土真宗なら本願寺となり、各宗派共通の習慣でした。これを本山納骨といい、そのための分骨の習慣が残っているのです。
 鎌倉時代、母の遺骨を抱えて身延山を訪れた富木氏は、日蓮上人に読経していただいて、納骨をしました。冒頭の一文は、千葉に帰った富木さんに、日蓮聖人が送ったお手紙の一節です。  「お釈迦様のお像の前に母親のお骨を安置し、ひれ伏して手を合わせ両眼でお釈迦様のお姿を拝した時、あまりの喜びで母を亡くした悲しみがたちまちやみました」と言う富木さんの母親へ孝養に感激し、母の成仏は今のあなたの成仏であり、あなたの喜びが母の成仏にいたるものですと説かれました。
 本山への納骨はこの時代からあったわけで、佐渡の藤九郎守綱という信者も、佐渡流罪の日蓮聖人をお世話した父・阿仏房の遺骨を身延山に葬りました。当時の大変な道のりを歩いて身延山に詣でたのですから、強い信仰心が感じられます。以前よりは少なくなりましたが、現在もこの本山納骨制度はあります。

遺骨への想い
  昨今の分骨は「若くして亡くなったお嫁さんを生家の親の墓に」といった例などに見られます。この場合も、あるいは本山納骨の際も、「お骨を分けるなんてあの世で成仏できない」と反対する声が親族から出ることがあります。しかしお釈迦様の遺骨は分骨され世界中でお祀りされているのですから、心配無用です。遺骨は故人を偲ぶよすが≠フ一つと考えていいでしょう。
  戦後70年を経ても、海外の戦地には未だに放置されたままの戦没者の遺骨が沢山あります。とても悲惨なことです。一方で海や山に遺骨を撒くという撒骨も広がりました。故人への想いを込めて丁重に撒くなら理解もできますが、一部には墓を持ちたくない事情もあると聞きます。同じ撒骨でも意味が全く違ってきます。
  大切なことは富木さんの想いに通じる、故人に対する懇ろな弔いの精神です。弔う側に安心と喜びの気持があることが、故人の安らぎに通じます。鎌倉時代も現代も変わらないはずだと思います。
 

 
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