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「霊山(りょうぜん)への契約にこの判を参らせ候・・・」
(遠藤左衛門尉殿御書(えんどうさえもんのじょうどのごしょ))

2014年9月号

小川英爾

天国と極楽の違い

「亡き父もきっと天国から見守ってくれることと思います。」近ごろのテレビドラマで見る仏式の葬式の場面に、違和感を覚えます。天国はキリスト教信者の行く所だからです。仏式でいうならせめて「あの世から」とか、「仏様の世界から」でしょうし、「浄土から」ならば完璧です。

亡くなった仏教徒の行く先が浄土です。清らかで美しく、悩みや心配事のない、穏やかな世界をいいます。一般的には極楽浄土≠ェ知られていますが、実は浄土は極楽だけではないのです。

日蓮宗は霊山浄土りょうぜんじょうど

冒頭の文章は、日蓮聖人が妙光寺と縁の深い五ケ浜の遠藤家の先祖、遠藤正遠氏に遺されたお手紙の一節です。佐渡流罪の日蓮聖人を幕府の役人として見張る立場の遠藤氏が、信者となって仕えてくれたことへの礼状で、日蓮聖人が遠藤氏を霊山に案内する約束としてこの判(印鑑)を授けるという内容です。

この『霊山』とは、お釈迦様が『法華経』を説かれた 霊鷲山 りょうじゅせん というインドに実在する山をいいます。法華経信者にとって、お釈迦様が直に説法してくださる霊鷲山こそが浄土なので、この山を霊山浄土といいます。「鷲の形をした岩がある霊的な山」というわけです。

現在の霊鷲山は、ラージギルという町からほど近い緑あふれる景勝地で、世界各地の法華経信者が訪れる聖地です。息をのむような絶景と極楽のような楽しい世界か、と問われれば違います。最近は観光客ねらいの山賊も出るので、警官が同行すると聞きました。かなり以前ですが私はここに立って、2500年前のこの場所でお釈迦様が・・・、と想像するだけで空気も香しく、鳥の声が音楽に聞こえ、心が解きほどかれる安らかな気持ちにはなりました。

この世を浄土に

日蓮聖人の鎌倉時代、また法華経信仰の盛んな江戸時代の人々に、インドの霊山浄土が想像できたとは思えません。日蓮聖人は「お釈迦様に代わり日蓮が法華経を説くこの身延山が霊山浄土」と言われました。しかし当時は身延山ですら、越後からは簡単に行ける所ではありません。その浄土はそれぞれの菩提寺であり、妙光寺だったようです。

浄土といえども、のんきに遊んで過ごす場所ではないのです。お釈迦様の説法を聞き、観音様始め多くの菩薩の支えを受けて、修行する所です。しかも実際には、どこかにあるという浄土は方便(仮りの姿)で、いま私たちが生きるこの場所を浄土にする努力と修行こそが、最も大切だとされるのです。

日常のしがらみや移ろいを忘れるほど真剣に修行し、ありがたいと思える人の繋がりをこの場所につくりあげることが浄土の姿です。

最近は多くの若い僧侶が、災害地や世界の貧しい国で、人々を救済する活動を盛んに行っています。そうした活動も浄仏国土(清らかで仏様の住まわれるような国)≠この世に作る布教活動なのです。

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