日蓮宗 角田山妙光寺 角田山妙光寺トップページ
寺報「妙の光」から 最新号 バックナンバー
HOME >> 寺報「妙の光」から >> バックナンバー >> 2003.12〜2013.12 >> 「開創七百年記念インタビュー積み重ねた時間(とき)を未来につなぐ寺を」

開創七百年記念インタビュー
積み重ねた時間(とき)を未来につなぐ寺を
―境内をデザインする設計士に聞く―

2013年12月号

新倉理恵子

妙光寺を訪れた人は、誰もがそのすがすがしい伽藍がらんと境内に感動します。老朽化がすすんでいたお寺を、現在の形にするために尽力されたのは、建築の茶谷正洋先生と造園の野沢清先生でした。

茶谷先生は、東京工業大学名誉教授で、日本の建築設計に大きな足跡を残した方です。まだ二十代だった御前様が昭和50年にツテを頼って客殿の設計を依頼し、その後本堂の設計にも携わっていただきました。

野沢先生は、戦後日本を代表する造園家(環境設計をする人)です。数年に一度は床下浸水する妙光寺の状況に心を傷められ、水路づくりにも協力していただき、その後安穏廟の設計をされました。

お二人とも鬼籍に入られて、野沢先生は今、安穏廟に眠っておられます。現在、妙光寺の様々な工事に携わっているのは、お二人の弟子にあたる設計士さんたちです。

中澤 敏彰さん(69歳・埼玉県朝霞市 中澤敏彰建築設計室代表)
昭和54年、東京工業大学茶谷研究室の助手として客殿の設計施工に関わり、以後本堂、祖師堂、京住院を設計。安穏会員でもある。

中澤敏彰さん

飯島 聡さん
(48歳・千葉県船橋市 飯島さとし建築設計室代表)

中澤さんと設計事務所で10年間ともに働き、中澤さんに私淑してきた。現在計画中の「檀徒の安穏廟」に取り組む。

飯島聡さん

松本 恵樹さん
(52歳・埼玉県新座市 春秋設計工房代表)

第一次安穏廟ができた直後の平成2年に野沢先生の事務所に入る。以後境内づくりに関わり、今は参道植栽を設計している。

松本恵樹さん
Q.皆さんが妙光寺の仕事をされたきっかけを、教えてください。
(中澤)東京工業大学の茶谷研究室に勤めていた30代の時に、南極観測隊に行ったんです。昭和基地にパラボラアンテナを建てる仕事でした。研究室に帰ってきたら、妙光寺客殿の設計が始まっていました。数人でやってみたけれど、どうも住職がイマイチだと言っているらしい。私の方は帰ったばかりで南極ボケ気味だし、担当している仕事もない。そこで茶谷先生と暇だった私が、客殿の仕事をすることになりました。 その頃は、小川住職も二十代の前半です。妙光寺はお化けが出るかなというくらいの古いお寺で、ちょっとした荒れ寺でした。図面を持ってお寺に来て、役員の皆さんに4時間説明しました。鉄骨で組むと言ったら驚かれてしまって、でも昔の建物を保存して全体を覆う形にすると説明したら納得してもらえました。それでも上棟式の時は、鉄の骨組みだけですから「車庫かと思った」と言われましたね。 (松本) 私は、20年前に野沢先生の事務所に入りました。そうしたら、時々新潟のお坊さんが日本酒を持って来るんです。それが小川住職でした。野沢先生が最初の安穏廟を作った後で、茶谷先生の客殿は『新建築』という業界では有名な雑誌に取り上げられていました。「こんな田舎の寺に、こんなかっこいい、すごいものがあるのか!」と、私たちには本当に憧れでした。それで、野沢先生の仕事を見る勉強会などもありまして、妙光寺に来るようになったんです。 (飯島) 20年前、私がいた設計事務所に中澤さんが入ってきたのですが、私から見たら中澤さんはもう雲の上の存在でした。中澤さんが本堂の仕事をすることになって、旧本堂を祖師堂として残すということで、調査に来たのが最初です。その後、本堂設計の図面引きを手伝いました。
Q.本堂は、最初はコンクリートのドーム型を考えたそうですね?
(中澤)「本堂は木造がいい」という檀徒さんが多く、コンクリートは経費もかかるので、ドーム型は賛同を得られませんでした。いったん建替えをあきらめたのですが、2年後にまた依頼があり、今度は私が設計して茶谷先生は監修という形で仕事をしました。旧本堂は1764年の建立です。200年以上の時間の一部を再生させたいと思って、内陣部分を祖師堂に転用しました。客殿の時と同じ考え方です。そして今度は集成材の大断面工法を提案して、賛成を得ました。 (松本)そう言えばあの時飯島さんは、途中で 垂木たるきの間隔を全部変えることになったって言って、泣きながら図面を引き直してたよね。 (飯島)よく覚えてるねぇ。本当に泣いたりはしないけど、あの頃はまだ手作業の時代で、一度線を引くと跡が残って、それを消すのが大変で。でも「ここ変えなきゃダメだよな」って中澤さんに言われて、自分でもそうだなと思うし。10年間同じ事務所で働く中で、中澤さんに図面で手間を惜しんじゃいけないということを叩き込まれました。
Q.妙光寺での仕事は、専門家の立場からみていかがですか?
(松本)角田山の背景がいいですね。山からの水に悩まされてきたけれど、水路を作って解決しました。山に囲まれていると安心感があります。 (中澤) 本堂前の院庭いんていとは、中国の伝統的な家の形―四合院しごういんのイメージがあります。四方を囲むように立てた家で、中庭のことを院子いんずというのですが、それが院庭です。そして中庭の空のことを、天井と書いて「テンチン」と言います。設計するときに住職から「今までの本堂は大きすぎるから、小さくしたい。でも小さくすると、大人数の集まりの時に困る」と言われて、それなら本堂に続く中庭を作ろうということになったんです。四方を人工物で区切り取られた天井から、空が見え、山が見えるというのは解放感がありますよね。 (松本) 私の造園の仕事というのは、5年先くらいの姿をイメージして作るのです。建築物は完成時がピークですが、造園はできたときはまだ生まれたばかりの状態です。それなりにベストを尽くしますが、その後の状況の中で良くなったり悪くなったりします。必ずしも、完成後もご縁が続くとは限らないので、その後の状態がわからないこともあります。でも妙光寺は、長くおつきあいができるのが嬉しいことですね。その分厳しいこともありますが、いい時も悪い時も頑張っていっしょにやっていくというのが、大切だと思っています。 (中澤) ここの住職はとても勉強家で、いろいろなことをよく知っています。厳しい要望もありますが、それに応えていく楽しみもあります。
Q.安穏廟は、古墳のような形をしていますね?
(松本) あれは、墳墓ふんぼの形ですね。野沢先生はとてもスケッチが上手な方でした。最初に野沢先生のスケッチがあったんです。 (中澤)杜の安穏をつくるとき、最初はマス目に区切った平たい芝生だけの墓にすることも考えたんです。でもやはり何か象徴になるものがほしいということで、八角形のものにしました。そしてそれをマス目の中央に置かず少し端に置いて、アキニレの樹を植えました。
Q.今後の境内は、どうなるのですか?
(松本)参道の植栽は、地元の緑遊工房さんやお寺の松本さんも交えて、話し合いました。テーマは四季折々です。植物が楽しめる森になります。 (中澤)そして「檀徒さんの安穏廟」をこれから設計します。檀徒さんの中にも後継のいない方があるということで、今までのお墓を引き継ぐ形の安穏廟を、数年前から依頼されています。従来の墓石の上の部分を残しつつ、新しいものを作るデザインです。これは飯島さんが設計します。 (飯島)中澤さんと一緒にやるんですよ。妙光寺は、客殿も本堂も革新的でありながら、伝統的な部分もはずさずに作ってきました。同じように、従来のお墓を引き継ぎつつ、新しいものを考えます。妙光寺は、革新と伝統のどちらにも偏りません。両方あるところが、すごいんです。そんな妙光寺にふさわしいものになるように、今から頑張ります。

妙光寺に、また一つ生まれる新しい伝統が、楽しみです。どうもありがとうございました。

  道順案内 連絡窓口 リンク