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教えてお上人

2013年9月号

小川英爾


岸壁の中央あたりの石にお題目が遺る。

―質問― 妙光寺は700年前に3つのお寺から始まったそうですが、当時のことを教えてください。

―回答―

700年前の正和2年、日蓮聖人の孫弟子にあたる日印上人によって妙法寺、蓮華寺、経王寺の3カ寺が開かれたのが、妙光寺の始まりです。

日蓮聖人と三題目

鎌倉幕府から佐渡流罪を言い渡された日蓮聖人は、文永8年(1271)の10月8日に寺泊から船出されました。しかし悪天候で角田浜に漂着され、ご上陸の地に『岸の題目』を書き残されました。

そのとき現れた老翁に「近くの岩屋に住む七つ頭の大蛇≠退治して欲しい」と願われて、日蓮聖人は法華経を読み大蛇を教化し改心させました。この記念に再び老翁に願われて、近くの岩肌に『南無妙法蓮華経』のお題目を書かれました。老翁も隣にお題目を書き、その下に『八幡』と書きました。これを『岩の題目』または『日蓮聖人・八幡大菩薩書き分けのお題目』と称して現在もお祀りしています。

翌日、日蓮聖人は日本海に船出されました。しかしまた風と波が強まり、船が木の葉のように揺れて遭難しそうになりました。その時日蓮聖人が船頭の使う棹で、波の上にお題目を書かれました。不思議なことに『南無妙法蓮華経』の文字が水面に浮かび上がり、海は穏やかに静まり、無事佐渡の松ヶ崎海岸に上陸できました。これが『波の題目』です。

この3つを称して『角田の三題目』と呼びます。

始まりは一山三カ寺

角田浜はこのように、日蓮聖人にゆかりの深い霊地です。お弟子の日朗上人も、佐渡の日蓮聖人をお訪ねする際に何度も立ち寄られました。そのお弟子で越後生まれの日印上人は、教えを広めるため郷里に戻られ各地に寺を開きました。節分の鬼踊りで知られる三条の本成寺もその一つです。その日印上人が『角田の三題目』にちなみ角田浜に開いたのが、角田山妙法寺、角田山蓮華寺、角田山経王寺の3カ寺でした。併せると「妙法蓮華経」となり、これを一山三カ寺≠ニ呼びます。そして真言宗国上寺の僧侶から改宗して弟子になった妙法坊日弘、蓮華坊日経、経王坊日忍の三人に、三カ寺を与えたと記録にあります。

先号でも紹介した岩屋の七つ頭の大蛇≠ヘ、後に『七面天女』としてお祀りされています。往時、国上寺は修験道という宗派で、山伏と呼ばれる僧が国上山から角田山まで活動していたはずです。ですからこの七つ頭の大蛇≠ヘ、実は国上寺の7人の山伏のことではなかったかと想像しています。

その後

当時から角田浜は交通不便な地だったため、開創120年余の頃、蓮華寺は県内新発田市に移転して蓮昌寺と改称、経王寺は村上市に移転して現在に至りました。蓮昌寺様からはこの10月、開創700年法要のお招きをいただいています。

そして妙法寺が妙光寺に名を改めて、現住職53代までの歴史が続いているのです。

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