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「世間の法に染まらざること蓮華の水にあるが如し」
『妙法蓮華経・従地涌出品第十五(じゅじゆじゅっぽん)』

2013年7月号

小川英爾

仏教と蓮の花

お盆には各家のお仏壇や精霊棚に、蓮の花を飾り、また蓮の葉にご飯やそうめんをのせてお供えする光景が見られます。お釈迦様が好まれた花として、蓮の造花や彫り物が、寺の本堂や家庭のお仏壇には、いろいろ飾られているのはご存じかと思います。

以前、妙光寺でも墓地の一角に池を掘り、夏に花が咲くよう蓮の根を植えたのですが、失敗して咲くことはありませんでした。恥ずかしながら肝心なことを忘れて、池に山から沢の水を引いたのです。蓮は水温の高い養分豊富な泥水のなかでしか咲きません。以来妙光寺では、蓮を水桶で栽培するようになり、夏には見事な花が見られます。

濁世のなかで生きる

お釈迦様が街を歩いているとき、弟子のアナンに道端に落ちている魚の鱗が付いた縄を拾わせました。しばらく歩くと、縄を捨てて拾った手の臭いを嗅ぐように言いました。「魚臭いです」アナンは答えて、不思議に思いました。

お釈迦様は、次のようにおっしゃいました。「私たちは、不信や悪、悩み苦しみの種が充満する中で暮らしており、できればそれらを避けて生きたいと皆考えている。それは可能だろうか。今アナンは、縄を拾ったことで、手が魚の臭いに染まってしまった。人間社会も一緒で、残念ながら、様々な悪や悩み苦しみと関わる中でしか、私たちは生きていくことができない。そのとき、心しなければアナンの手と同様に、自らの手や心までもがそうしたものに染まってしまう。」

蓮の花は泥沼に育ちながら、その花本来が持つ美しい色のまま咲きます。泥の汚れがつくことはありません。それでいて泥との密接な関係を切ることはできないし、逃れることもできません。

人間もこの花のようにありたい、と考えられたお釈迦様は「蓮の花が泥水に染まることなく咲き誇るように、人間も世間に在ってその汚れに染まることのない生き方を目指したい」と『法華経』に説かれました。

そこで当時から、蓮の花が仏教のシンボルとなりました。「南無妙法蓮華経」のお題目の蓮華≠焉A同じ意味があります。

そして

普通の花は、花が散ってから実を結びます。ところが蓮の花は花ができたとき、既に花の中に実をつけている数少ない植物です。これは、私たちは誰でも将来必ず仏様になることができる、その仏に成る種を私たちが自分自身の中に既に持っている、そのことを表しているのです。蓮の花は、いわば仏教を象徴する花というわけです。

日蓮聖人は貞応元年(1222)2月16日、現在の千葉県小湊でお生まれです。そのとき不思議なことに、その地の浜辺に青蓮華が咲いたという伝説があります。16歳で出家得度されましたが、その時の名が蓮長、そして32歳で初めて「南無妙法蓮華経」と唱え、自ら日蓮と名を改められました。太陽の明るさと、蓮華の清らかさを意味します。全て蓮にゆかりがあります。

ちなみに仏教では、蓮も睡蓮もともに蓮華と呼んで同じに扱います。

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