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無縁社会と家族

2011年9月号

小川英爾

孤立死

新潟市に住む檀徒のAさん宅に、東京のある区役所から突然の通知が届いた。奥さんのお兄さんが都営住宅で死後数日たって発見された。区役所が火葬して、遺骨をお寺に預けてある。親族を調べたらAさんの奥さんに行きついたので、これまでの経費20万の支払いと遺骨の引き取りに来て欲しいという内容だった。

Aさんは奥さんが3人兄弟の末娘だったが事情で後継ぎの立場になったので、婿に入り義父母を看取り墓も引き継いだ。すぐ上の義兄は近所に住み、交流も頻繁にあるが、子供がいないので安穏廟を申し込んでいる。通知のあった長兄は東京で働き、結婚して二人の娘も嫁ぎ、妻とは離婚して一人暮らしだった。10年以上音沙汰がなく案じてはいたのだが、突然の知らせに驚いた。

二人の娘に尋ねると「私たちは捨てられたも同然で、父親とも思いたくない」とのこと。「何があったかわからないが、どんな最期だったと思うと兄が不憫に思えて」と、Aさん夫婦は兄の遺骨を引き取って家の墓に入れてやりたいと考えた。しかしそのための区役所への支払いと引き取りの交通費、もしその他にも家賃の未払いや借金でもあったらとても払えない。また離婚した妻とは関係が切れても、二人の娘との権利関係はどうなるのか。我が家の墓に入れることに問題はないのか。わからないことだらけで、いっそ関わらない方がいいのか、悩んでしまった。

無縁社会

こうした誰にも看取られることなくひとりで亡くなり、死後に発見されるいわゆる孤独死が増えて、年間3万人を超すと報道されている。偶然にもこの数が年間の自殺者数と同じというのも不思議な気がする。しかし人は皆、生まれてくるときも死ぬ時もひとりで元来孤独なのだから、孤独死″ではなく孤立死″ではないのか。孤立したなかで死んでいくことが問題なのだと、知り合いの研究者が言っていたが同感だ。私たちは縁があって生まれてきて、数多くの縁の中に生きてこそ安らかな最期を迎えるとお釈迦さまは説かれた。孤立した最期を迎える人が増えた今の時代を、無縁社会″と名付けたのはNHKの報道番組だった。

その背景には子供は別世帯で、高齢者夫婦の死別による一人暮らしがある。同時に、Aさんの義兄ように離婚で一人暮らしという例も多い。そのうえ近隣住民との交流も、さらには子供を含めた親族とも疎遠という社会だ。NHKの番組の中で、行政が孤立死した高齢者の子供に連絡したが、遺骨の引き取りも遺品整理の立会いも引き取りも拒否されたシーンがあった。なんと非情な子供かとそのとき感じた。ところがある新聞にはこんな記事があった。死後1ヶ月以上経って発見された遺体の親族に、アパートの管理者から数百万円の請求があった。それは死臭も残る部屋の清掃料金と、訳ありの部屋なので家賃を下げないと次の入居者が決まらないための差額分だという。実はAさんと同じように、経費の支払いや法的な手続きに応じ切れない親族だっているのもこの国の現実だと知った。

無縁社会の背景に親子世代が同居しない核家族が増えたのと同時に、若者世代が結婚しなくなっていることも大きな要因としてNHKの番組で取り上げた。このまま推移すると20年後の2030年には男性の3人に一人、女性の4人に一人が生涯独身のままで、東京都の50%は独居世帯になると厚生労働省が試算しているのだ。その結果子供がさらに生まれなくなり、さまざまな社会保障制度が成り立なくなる。だから・・・、という議論は簡単ではなく問題があまりに多い。

お盆の風景

ところで今年もお盆の季節が終わり正直ホッとしている。8月のお墓参りでは多くの家族連れでにぎわったが、心なしか子供の姿が少なくなったように思えるのは気のせいばかりではないようだ。

また全部で400件近いお宅にお盆のお経に伺った。7月は関東方面の30件近くに私一人で伺ったのだが、今年は例年にない猛暑が厳しかった。この関東のお盆の檀徒宅回りは、新潟から関東に移り住んだお宅を、乞われて先代の住職が訪ね歩いたことから始まった。当初は今ほど交通の便が良くないので、「我が家では毎年泊まって頂いたんですよ」と、東京の郊外や神奈川県のお宅で聞いた。そんなお宅では「御前さまには夕方着かれるとまずお風呂に入っていただいて、汗を流してからお経でした。子供心に良く覚えています。」なんて話も。私も高校生のころから一部手伝ったので、40年余り伺っているお宅もある。世代が代わってお付き合いの途切れたお宅もあるし、一方で安穏廟がご縁で新たに伺うようになったお宅もあって、件数はほとんど変わらない。

日時を決めて伺うので、この日ご主人が会社を休んだり、嫁いだ娘さんが家族を伴って里帰りしたりと、お孫さんまで揃って待っているお宅が多い。こちらも昔のように泊りがけとも行かず、限られた時間で失礼するのが心苦しいほどに歓待していただくのがとてもありがたい。

そして年数も長いから、家族の中で子供が就職した、結婚した、孫が生まれたという嬉しいことから、様々な悲しいことまでが話題になる。また最近はお孫さんたちに、亡くなったお爺ちゃんやお婆ちゃんの昔話を聞かせる年齢に私がなってしまった。

寺の家族

私自身、寺に生まれ育ちいつも家族以外の人が寺にいたから家庭とか、家族とかには馴染めない思いが心のどこかにある。そもそも妙光寺700年の歴史のなかで、住職が結婚したのは100年前の私の祖父に当たる人からだ。私は妙光寺の53代目だが、妻は奥さんとして3代目でしかない。建前上は寺は家ではないから家族ではなく寺族″と呼ぶことになっている。寺に家族はなく家庭もないから寺庭″と呼び、奥さんのことは寺庭婦人″というのが宗門では正式になのだ。その寺庭婦人が住職に対して「御前様」とか「お上人様」と呼び、敬語で話すのも寺の習慣である。夫婦喧嘩になると「お寺の奥さんなんてお手伝いさん以下だ」と言う妻の言い分もあながち外れてはいない。厳然と残るお寺の古い体質の中で、どう自分の意識と現実を変えていくのかは、簡単なようだが結構難しい面がある。

だから近ごろの妻の結論は「お坊さんは結婚するべきではないのよ」である。そう言われれば、子供の頃から父親は毎日厳しい顔をして、母は忙しく働いて言い争いもしょっちゅうで、暖かい家族″なんてことを思った記憶が無いような気がする。だからとは言わないが、妻いわく私は「お坊さんとしては立派だけど、夫としては最低」なのだそうだ。父親としてはどうか、娘たちに聞きたい一方で怖くて聞けないのも本当のところかも。

様々な家族と縁

自分のことを持ち出すまでもなく、世の中には様々な家族がある。時代の中でそれも随分変わってきたし、これからも変わっていくのだろう。住職としてこれまでも今も多くの家族の話を見聞きしているが、何の悩みや問題を抱えない家族は皆無といっていいと思う。お盆に集まった家族だって、深刻な話題になったこともある。そのなかで「なんとかしたい」と色々苦心している姿に心打たれることが多かった。

一人娘が独身のまま両親を介護し、後に残った母親のお通夜をひとりで行った。そこでは寂しいというより清清しさを感じた。一方で、同居する認知症の老母をひとり残して急死した、こちらも独身の一人娘がいた。どんなにか心残りだったことだろう。

独生独死独来独来(どくしょうどくしどっこどくらい)″という『無量寿経』というお経の中の言葉があって、「人はひとりで生まれひとりで死ぬ。ひとりでやって来てひとりで去っていく」、元来孤独な存在だと。だからこそ人との繋がりの大切さが説かれる。

両親という縁によって尊い生を受け、多くの人の支えで成長し、人の中でしか私たちは生きていくことは出来ない。そして病めば人の世話になり、死ぬときはひとりだけれど誰かの手なしには葬られることができない。幾多の縁によって生かされているはずなのだが、それが実感できない社会になりつつあることを怖いと思う。

忘れたくない絆

冒頭の兄の遺骨の引取りを求められたAさん夫妻。私の紹介した司法書士の助言を受けて「金はないけど時間ならある」と、インターネットで家庭裁判所から書類を取り寄せ、自分の手で書類を作成して仮に負債があっても引き受けなくてもいいように手続きを終えた。区役所とも電話で交渉して区から葬儀の助成金を得て費用が減額になり、遺骨は送料着払いの宅配便で手元に届いた。この10月の一周忌に併せて妙光寺での簡素な葬儀を行い、両親の眠る墓に埋葬するところまでようやくたどりついた。「これで安心です。兄の娘たちは今回は立ち会わないかもしれませんが、いつでもここに来ればお参りが出来ますし」と、笑顔が爽やかだった。

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