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出会い

2010年12月号

小川英爾

秋の涼しくなったある日、山形から久しぶりにT子さんが訪ねてくれました。以前はフェスティバル安穏の常連さんで、ご自分で運転して参加されていたのが、最近は足が弱って近所まで歩くのがやっと。一人暮らしで冬は外にも出られないから、年々心細くなるといいます。今回は弟さんが「姉ちゃんの入る墓の場所をよく聞いとかねえと、もしものときに困るからな」と、千葉から山形に迎えに行って、一緒に来てくれたそうです。

確かT子さんには夏のフェスティバルで親しくなった歳の若い新潟のお友達がいました。「お友達になったM子さんは?」と尋ねたら、連絡して今ここに向かっているとのこと。間もなく現れたM子さんを交え、話が弾みました。T子さんが入院したとき、M子さんが山形の病院に見舞って得意のオカリナを吹いてくれたことがとても嬉しかったなんて話も。弟さんに促されて「以前一緒にドライブしたあそこに行ってまたお昼を食べようか」となり、M子さんに手を支えられて玄関を出て行く姿が、実の姉妹か親子のようにも見えてとても微笑ましく感じられました。

同じ頃、群馬県桐生市に住むS子さんの姪御さんからの電話で、S子さんが亡くなられたとお知らせがありました。独り身のS子さんは桐生で開業医だったお兄さんの医院の事務職を辞すと、妙光寺の近くにと新潟市のケアハウスに入居されました。その頃何かお手伝いしたいと申し出られた近くに住むK子さんを紹介し、K子さんの運転する車で時々お寺に来たり、一緒にお茶を飲んだりしていました。数年後に認知症が心配だからと姪御さんの暮らす桐生に戻り、施設に入居されたのです。

「本人の希望なので」ということで急ぎ住職が桐生に伺って姪御さん家族が同席する中で読経を勤め、お彼岸中で時間のやり繰りがつかなくてとり合えず荼毘に付しました。後日、妙光寺本堂に遺骨を安置して改めて葬儀を行い、姪御さんと、K子さんの2人が参列し埋葬されました。

姪御さんとK子さんは初対面でしたが、姪御さんからS子さんの晩年や最期の様子をお聞きしました。S子さんはお花、お茶をたしなむ明るい方で、ケアハウスでも人気者でした。なかでも書道が得意で、K子さんがいただいたニ幅の大きな書を持参されて、数々の思い出話に笑い声も出るようなひと時でした。S子さんの願いが通じたかのようです。

安穏廟も20年以上が経過して様々な人生が蓄積していく感じです。夏の『万灯の灯り・フェスティバル安穏』の反省会を踏まえた来年の相談が、20人のスタッフで始まりました。さらにお寺での行事や、それぞれの連絡を通じて新たなお友達の輪が広がって行くことを願っています。

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