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ご質問に答えて

2010年9月号

小川英爾

こんなご質問をいただきました。

「弟が急に亡くなって新潟市内でお葬式だったのですが、火葬場で遺体とお別れした後、すぐに斎場に戻って初七日・三十五日法要とおときがあるから喪主もお骨拾いはできないと、葬儀社の人に言われました。急なことでショックを受けていた弟の嫁が、お骨拾いもできないなんてと、その場に泣き崩れてしまいました。こんなことってあっていいのでしょうか?」。

お葬式の流れは地域でまったく違って、本当に色々な形があります。旧新潟市内は確かにご質問のように、火葬後のお骨拾いは喪主以外のわずかな親族だけで、他の人は斎場に戻って火葬の最中に三十五日法要と、おときをします。

妙光寺のある旧巻町周辺では違います。火葬の最中にお寺に行き、ご本尊さまに葬儀を終えたお礼を伝えるお礼参りをし、再び火葬場に戻って全員でお骨拾いをした後、三十五日法要、おときという流れです。

この旧巻町の形では参列者が葬儀にほぼ一日を費やすことになるので、時間の短縮を目的にしたのがご質問の旧新潟市内の形だと思われます。因みに東京周辺でも同様に火葬、お骨拾いの後から初七日法要とおときでした。ところが近頃は三十五日法要を葬式と一緒にやって、火葬中に火葬場でおときをして、お骨拾い後解散する、そんな流れに変えようという動きがあります。葬式すらしない直葬とやらが流行るご時世ですから何が起こるかわかりません。

というわけでお葬式は地域の習慣と、最近の流れとで微妙なところで形がそれぞれ違います。その場に当たって説明されてもさっぱりわからないのが実情でしょう。ご質問の場合喪主がお骨拾いに残ってもなんら問題はないので、気配りのできる葬儀社ならその場の判断で対応すべきでした。その他にも些細なことで大切な最後のお別れが、悔いの残ることがままあります。

地域の習慣といえども崩れてきているので、自分がどのように送られたいか、家族はどのように送りたいか、ある程度考えておく時代です。必要なら妙光寺にご相談ください。忘れて欲しくないのは、一人の人間が生きてきたその背後には親族以外にも大勢の人のお世話があったということです。人は一人で生きることも、死後を一人で後始末することもできません。形はともかく、親族に限らず遺されたひとへの感謝の気持ちだけは無くしたくないものです。

最近の妙光寺のお葬式では、親族から(ときにはご本人から)事前に相談を受ける例が半数を超えています。大げさでなく「残念ですが父が長くないらしいのです。そのときはどうしたらいいでしょう?」といった具合です。

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