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住職の研修 台湾の仏教寺院と交流

2009年3月号

小川英爾

 寒い冬のお寺は来客も少なくまとまった仕事に集中したり、気になっているところに出かけたりして過ごすことにしている。この冬は、台湾の仏教が活気に満ちているというので仲間と視察に出かけ、戻ってから座禅断食の修行を体験してきたので、ご報告したい。

台湾の仏教寺院と交流

最近は日本以外の国々で宗教が見直されてきているらしい。そのなかで台湾は昔から道教という宗教が主流で仏教はあまり盛んではないと聞いていた。それが近年新たに起こった4つの宗派が盛んで、特に若い女性が出家して尼僧になる例が多いという。そうした理由を知りたくて南部の高雄の郊外にある仏光山寺と、中部の台中近くの台中禅寺を訪ねた。

事前に紹介をいただいて仏光山寺では2人の尼僧さんが朝から待っていて、2日間つきっきりでお世話いただいた。依(イ)法尼は60歳ほどか日本の大学で博士号をとった台湾の国立大学の教授という、日本語が達者で元気のいい世話好きな大阪のおばちゃん風。もうおひとりはやや若く、お寺がアメリカに持っている大学出身でアメリカの会社で働いていたという。ここには約300人の僧侶がいて、7割が尼僧。全員が出家者として独身。宗派全体では僧侶1800人中8割が尼僧だという。大規模とは聞いていたが、30万坪の敷地といい組織といい驚くことばかりだった。

日曜日の旧正月明けということもあって、広大な敷地に信者と観光客が入り混じって文字通り老若男女が溢れかえっている。1日では回りきれない数の施設が点在し、本堂の他に観音堂やら座禅堂、図書館、納骨堂、信者の宿泊会館等々7階建てくらいのビルがいくつもある。さらに全国に放送しているテレビ局、宝物館、美術館、僧侶を目指す人の男女別のいくつかの学校、そのうえ仏さまの世界を子供に分かりやすく教えるためという電気仕掛けで動く人形が並ぶ室内遊園地のようなものまであってこれがまた広い。すべて入場無料で、入口に賽銭箱があるだけ。売店も各所にあって仏教関係の本や数珠、お土産品まで売っている。野外にもお土産屋、食べ物を売るワゴンもあり、夜には学生が作ったというイルミネーションが輝き、時間にになると飾り付けた車のパレードもある。言ってみれば失礼ながらセンスの悪いディズニーランドのようで、ミッキーやミニーがお釈迦様や観音様といった感じ。


人で溢れる境内

レストランも何か所かあるがすべてこれが精進料理で、こちらは味も見た目も良かった。ここで働く人の大半が信者の奉仕だそうで、皆楽しそうにやっていた。精進料理といえば、私たちは賓客として最上階のレストランで毎回食事をいただいたが、ホテルのバイキングスタイルと一緒で、一見本格的な中華料理だが材料のすべてが野菜だとは信じがたい味で、毎回食べ過ぎるほどだった。お願いして朝の法要後に、3000人収容可能な大食堂で僧侶、宿泊した信者と一緒にいただいた朝食は、胡麻のスープ、パン(ご飯)、野菜炒めという質素なものだった。これを無言で厳格な作法に従っていただくのだが、味もそこそこなうえ、お変わりも自由。「食べるものは美味しく十分戴きましょうというのが私たちの考えです」と説明されたが、尼僧さんが多いせいかなどと想像してしまった。

旧正月の最後なので夜8時から、本堂前の石畳の広大な広場で万灯法会が開かれた。500人以上はいるだろうか、多くが家族連れで銘々が小さなロウソクを渡されて、スピーカーから流れるお経に唱和する。このお経の声がまたすこぶる美声で、リズムもいい。声のいい僧侶だけ集めた特別編成だという。やがてロウソクに順次点火し、それを足元に置いて皆が脇に移動すると、本堂前に何百もの炎が整然とゆらめく幻想的な光景が広がった。号令がかかるわけでもなく、なかにはお喋りしながらの形式張らない人の動きも心地よかった。

朝の法要は6時からだった。日本からの僧侶ということで私たちも末席ながら最前列に席を設けられ、中国語のお経本を手渡されたがどこを読んでいるかがかろうじてわかる程度だった。日本で言う小正月だから法要時間が長いと聞いていたが、1時間程度だったように思う。5階建てくらいの高さがあろうかという吹き抜けの本堂の天井に、信者も含めて400人くらいで歌うような読経の響きは圧巻だった。


お釈迦様の像がいっぱい・・・

こうした数多くの熱心な信者にとって、元からの道教といまの仏教との違いをどのように考えているのか、寺が運営する南華大学で死生学を教える釈先生から1日目に昼食をはさんでお話を伺った。この20年あまりで国内の仏教信者は倍増し、国民の6割ほどになった。中国の台頭による国自体の先行き不安や、国内の社会構造の変化が大きな背景らしい。ただ道教と仏教の区別は厳密でなく、道教もやりながら仏教にも熱心で、亡くなった後に枕元で8時間お経を読み続けたり、病院でガンを告知された人たちに僧侶が説法を説くことも増えているという。仏光山寺では生きた人間のための「人間仏教」という基本の徹底していることが、この活気を生みだしていると理解された。

さらに「小川さん、明日は10時半にここの住職があなた方とお会いすることになっています。いい機会なので私が設営しました」と依法尼から突然知らされた。お会いしたご住職は物腰の柔らかい温和な印象の男性で、しかも40歳という若さに驚いた。選挙で選ばれると聞いてなおびっくり。「日本では学者と僧侶は別という風潮があるようですが、こちらでは一緒です。学問も修行も同時に納めないと身になりません。台湾仏教に尼僧が多いのは男性は家を守るという伝統的な考えがまだ強く、女性は高学歴であっても就職先が少なく、国の将来の見通しも不安定なので学校を終えてからさらに仏教を学ぶ人の多いことが理由でしょう」。こうした話題のやりとりでちょうど1時間の面会を終えた。ご住職は依法尼の教え子だそうで、私達との面会もそのお力によるものと想像され、「仏光山寺は男女平等ですよ」と法尼の言葉も自信に満ちていた。

1泊2日の仏光山寺訪問を終えて昼食をいただいた後、依法尼が学生の車で私たちを高雄市内の別院に案内してそれから駅まで送ってくださるという。お言葉に甘え、訪ねた別院にこれまたびっくり。繁華街に十階建ての立派なま新しいビルで、最上階が本堂、9階が観音堂、他は会議室、研修室、事務室のようで、1階がこれまたおしゃれなレストランに、出版物を売るショップ。本山のようにセンスのないディズニーランドのようなイメージは全くない。すべてが銀座にあってもいいような雰囲気なのだ。レストランの50はあろうか思われる席は若い人や家族連れが一杯で、見回すとピラフ、スパゲッティー、何々鍋といった感じの品を食べている。これらもすべてが精進料理という。愛想のいい女性支配人が奥の特別室に案内してくれ、お粥、お菓子、お茶を出してくれた。50前かと思われる彼女も信者で、ここに来る前は日本の電機メーカーの台湾シャープで人事部長をしていたそうで日本語ができる。ご主人が銀行の支店長だから収入は十分あり、ここでの給料はそのままお寺に寄付しているとのこと。

実は仏光山寺の宗派はまだ40年余りの歴史しかないのに、国内に小学校から大学、僧侶専門学校までと、テレビ局以外にも新聞社では日刊紙を発行し、末寺を数百。アメリカとオーストラリアに大学と、日本を含めた世界にも末寺を持つ。他の宗派も似たようなものらしい。これらは檀家制度などではなく全て信者の自発的な寄付によって成り立ってきたというから、その信頼の篤さにただただ敬服するばかりだ。高雄の別院の書店で30前後の夫婦が依法尼の姿を見つけ「今あなたの本を買ったので、サインしてください」と言ってきた場面にも遭遇した。


サインの求めに応じる依法尼

次に訪ねた中台禅寺は「2002年台湾建築賞」というさらに巨大な建物で、日本の国会議事堂を斬新にしたような形と規模だった。事前準備がなく詳細は聞けなかったが、内部は開放的で気持ちのいい風が吹き抜けていたのが印象深かった。こうした台湾仏教の背景に「台湾では昔から企業でも個人でも利益を得たら恵まれない人に還元する習慣が根強く、お寺も医療や福祉、教育活動にとても力を入れていることが支持されている」。「台湾の企業経営者は信仰熱心な人が多く、お寺に寄付するお金も半端でなく多い」という話しも耳にした。僧侶は結婚せず、修行と勉強に真剣で、社会救済に熱心なうえその活動は国内外を問わない。寺のあるべき一つの方向性を感じつつも、日本との隔たりはあまりに大きいと痛感させられた思いで4日間の旅を終えた。

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