日蓮宗 角田山妙光寺 角田山妙光寺トップページ
寺報「妙の光」から 最新号 バックナンバー

お盆の日のご縁

2008年9月号

小川英爾

8月に入ってお盆の棚経(たなぎょう・お盆の期間中床の間などに故人の精霊をお迎えする棚を作り、そこにお経を読みに伺うこと。近頃は省略されて仏壇の前に飾るお宅も増えている)に、檀信徒のお宅に伺いました。件数が多くて遠方は10日から、地元は13日から16日朝までの間、私と鎌田のほか東京と千葉のお上人2人から応援を受けて回りました。1日に40件近く回るので、時計の針と競争しているかのようです。今年は激しい雨で涼しいのはいいのですが、一時は車から降りられないほどの強いふりもあって予定も遅れ気味、催促の電話をいただいた方もありました。

応援のひとりは千葉のお寺の息子で20歳の青年です。5年前の中学生のときにも来て、私の後ろで太鼓をたたいて歩いたので今回は2回目です。跡を継ぐのかどうか迷っているらしいのですが、父親の期待もあって今回は一人で歩いてもらいました。とは言っても経験の浅い都会の寺の息子で、しかも現在アメリカ留学中。そこで13日午前中は慣れるために私と歩き、挨拶しながらロウソクを点け線香を立ててお経に入るところからの実地訓練から始めました。夜は地元の角田浜。暗がりで道もわからないため妻のなぎさが一軒づつ紹介して歩き、14日も別の集落を同様にして慣れてもらいました。

3日目は朝から私の娘が運転する車で「はい、こちらのお宅だよ」と教え、一人で伺うようにしました。なにしろ田舎の道はわかりにくく、家を探しているだけで時間がどんどん経過しますから。ところが、計算上移動時間も含めて平均して一軒15分から20分で回らないとならないのに、一軒に30分以上もかかっているのです。聞けば「皆さんのお話を聞くのが面白い。最初は方言が強くて聞き取れなかったのが、だんだんわかるようになってますます楽しくなった」と言うのです。すっかり予定が遅れてしまったのですが、初心者の彼には余裕を見ておいたのでそこはなんとか。

その日の午後に事件は起きました。別の地区を回っている私の携帯電話に娘から「留守のお宅があるんだけどどうすればいい?」とかかってきました。今日伺うことはわかっているはずだから、留守でも鍵はかけてないはずだよ。かまわないから勝手に上がってお経を読んで、多分お布施が置いてあるはずだからそれを戴いてくるように。くれぐれもロウソクの火だけは消し忘れないこと」と答えました。そして次の電話は「さっきのお宅はそうしたけど、今度は私が地図を見間違えて家を間違えたらしいんだけど、40分も経つのに彼が出てこない」というのです。

そのころその家の中ではこんなやり取りが交わされていたのです。留守のようだったので、お仏壇で読経を終えて振り向くと後ろにお爺さんが座っていました。挨拶すると、静かにそして怪訝そうに「どういうご縁で我が家に来なさった?」と尋ねられたのです。彼は「角田浜の妙光寺から来ました」と伝え、自己紹介をすると「ああ、それならウチではなくて向かいのお宅だよ」といいながら、お布施を差し出したのです。

お仏壇を見れば宗派の違うことに気がつくはずですが、そこは経験の浅い若者です。言われて初めて家を間違えたことに気付き、謝りながら、出されたお布施を固辞しました。しかし先方は「お盆に我が家に来てくれたのも何かのご縁。そもそもお釈迦様の教えは・・・」と、仏教談義が始まり、はてはこの土地の歴史から、さらに古墳から出土したという土笛を出して吹き始めたのです。彼が立つに立てなくなって笛の音を聞いているころ、外では娘が、前のお宅でその次のお宅が分かりにくいからと電話してくれ、お家の方が外に出て待っていてくれる手はずになっているのにと、イライラしていたのです。

暗くなって戻った2人の興奮した報告を受けた私は「歴史話の好きなお爺さんって、もしかしてKさんではないか?それならそこの次男が父さんと中学の同級生で一番仲が良かったんだ。卒業後コックさんになって新潟市内で小さなお店を開き、何度か寄ったこともあるよ。でも20年ほど前、出前の帰りに持病の心臓発作で自転車に乗ったまま倒れて亡くなったんだ。それじゃKさんが喜ぶのも無理はないよ」と。娘が驚きながら「そうそうKさんだよ」と、袋から取り出して見せた戴いたお布施には、Kさんの名前とその脇に“○○(私の友人の名前)の父”と書いてありました。早速電話をかけた私にKさんは「いやいや、お盆だからこちらこそありがたかったよ」と答えてくださった。偶然とはいえ間違えたお宅にご縁がありしかも親切に対応してもらったことに、千葉からの彼は感激していました。きっといい僧侶になってくれることと思います。

  道順案内 連絡窓口 リンク